烏山頭ダム

日本統治時代の台湾で建設され、嘉南平原を広大な穀倉地帯に変える原動力となった巨大ダムの名称は何か?
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【参考リンク】
烏山頭ダム(Wikipedia)

烏山頭ダム (うざんとうだむ)

1930年竣工

【概説】
日本統治時代の台湾南部において、広大な不毛の地を潤すために建設された当時東洋一の規模を誇る多目的ダム。日本人技術者の八田與一が設計・施工を指導し、10年の歳月をかけて完成させた。このダムを中心とする大規模な灌漑事業により、現地は台湾最大の穀倉地帯へと変貌を遂げた。

嘉南大圳計画と八田與一の挑戦

日清戦争の結果として割譲された台湾において、日本(台湾総督府)は近代化政策の一環としてインフラ整備や農業開発を推進した。台湾南部に広がる嘉南平原は、雨期には洪水、乾期には干ばつに見舞われ、さらに塩害にも悩まされる農耕に不適な荒野であった。この広大な平原を近代的な農業地帯へと変革すべく計画されたのが、大規模な水利事業である嘉南大圳(かなんたいしゅう)計画である。

この大事業を主導したのが、金沢出身の総督府土木技師・八田與一(はったよいち)であった。八田は、官田渓の水を堰き止めて巨大な貯水池を造るため、当時のアジアでは前例のない「セミ・ハイドロリックフィル工法(半湿式盛土工法)」を採用し、1920年(大正9年)に烏山頭ダムの建設に着工した。

東洋一のダム完成と歴史的意義

10年に及ぶ難工事の末、1930年(昭和5年)に完成した烏山頭ダムは、貯水量約1億5,000万トンを誇る当時アジア最大のダムとなった。ダムから四方に張り巡らされた給排水路の総延長は約1万6,000キロメートル(地球約半周分)に及び、これによって約15万ヘクタールにおよぶ荒地が、水稲・甘蔗(サトウキビ)・雑穀を順番に栽培する三年輪作法が可能な豊かな水田地帯へと生まれ変わった。

烏山頭ダムの建設は、台湾の農業生産力を劇的に高め、帝国の食糧基地としての台湾の価値を確立させた。この大事業は多大な予算と、工事中の爆発事故などで134人もの尊い犠牲者を伴う困難なものであったが、八田與一の国境を越えたヒューマニズムと熱意は今なお台湾で高く評価されている。現在でもダムの傍らには八田の銅像が佇み、毎年のように慰霊祭が行われるなど、日台の歴史的な絆を象徴する地となっている。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 長い紙を横につなぎ、右から左へと巻き広げながら、絵と文章(詞書)を交互に見せて物語を展開していく日本独自の絵画形式を何というか。
Q. すべての裁判所の頂点に立ち、法令が憲法に違反していないかを最終的に判断する権限を持つ裁判所はどこか?
Q. キリシタン大名の大村純忠が開港してイエズス会に寄進し、以後、南蛮貿易の最大の拠点として栄えた港町はどこか?