軍務官
1868〜1869年
【概説】
明治新政府の政体書に基づく「七官制」において設けられた中央軍事行政機関。戊辰戦争期における新政府軍の統制や、陸海軍の軍政・軍令など、防衛および軍事一般を一元的に担当した。
政体書の制定と軍務官の創設
1868年(慶応4年)閏4月、明治新政府はアメリカ合衆国憲法などを参考に、権力分立の原則を一部取り入れた基本法である政体書を制定した。これにより、最高機関である太政官の下に、行政・立法・司法の諸権能を分担する「七官(行政官、神祇官、会計官、軍務官、外国官、庶務官、刑法官)」が整備された。この七官の一つとして、軍政および軍令の双方を統括するために創設されたのが軍務官である。これは、王政復古直後の三職制において軍事を担当していた「軍防事務局」などの改編・発展組織であった。
軍務官の役割と兵部省への移行
軍務官は、当時も継続していた戊辰戦争の指導や、旧幕府勢力の掃討といった軍事作戦の指揮(軍令)に加え、将来的な近代軍隊の創設に向けた基礎作り(軍政)という二つの重要な役割を担っていた。しかし、当時の新政府は独自の直轄軍をほとんど持たず、薩摩・長州・土佐をはじめとする諸藩の兵力(藩兵)に依拠せざるを得ない限界を抱えていた。その後、1869年(明治2年)7月に版籍奉還が行われると、より強力な中央集権化を目指して官制改革が実施され、二官六省制へと移行した。これに伴い軍務官は廃止され、軍事行政は新たに設置された兵部省(のちに陸軍省・海軍省へと分化)へと引き継がれることとなった。