会計官 (かいけいかん)
1868年〜1869年
【概説】
明治維新期の1868年に制定された「政体書」に基づき、太政官の下に置かれた中央財政機関。戊辰戦争期の新政府における財政の掌握、租税の徴収、貨幣の鋳造および管理などを担った。のちの大蔵省の源流となった組織である。
政体書と太政官七官制における位置づけ
1868年(慶応4年)閏4月、明治新政府は権力分立の原則を一部取り入れた基本法である政体書を布告し、新たな統治機構を整備した。このとき、最高機関である太政官の下に「行政官」「神祇官」「外務官」「軍務官」「会計官」「刑法官」「民部官」の七官が設置された。会計官は、同年1月に置かれていた「会計事務局」を改組・継承する形で誕生し、新政府の財政・経済政策を一手に担うこととなった。
新政府の財政危機への対応と大蔵省への移行
当時の新政府は、戊辰戦争の莫大な戦費調達や旧幕府から引き継いだ債務により、深刻な財政難に直面していた。会計官の初代知事(長官)に就任した由利公正らは、この窮地を脱するため、日本初の全国通用紙幣(不換紙幣)である太政官札の発行や、富商からの資金調達などを主導した。その後、知事は大隈重信へと引き継がれ、財政の近代化が模索された。1869年(明治2年)7月、版籍奉還に伴う官制改革(二官六省制の導入)によって会計官は廃止され、その機能は新設された大蔵省へと引き継がれていった。