神祇官 (じんぎかん)
【概説】
明治維新期の新政府において、国家の祭祀や神道を司った中央官庁。古代の律令制における神祇官を復古・再編したもので、一時期は行政を担う太政官と同格以上の最高機関に位置づけられた。
王政復古と「祭政一致」のシンボル
慶応3年(1867年)の王政復古の大号令により発足した明治新政府は、天皇を中心とする古代の律令国家を理想モデルとした。その具体的な現れとして、明治元年(1868年)の政体書に基づく「太政官七官制」において神祇官が再興された。これは、政治と神事を一体とする祭政一致の理念に基づき、天皇の権威による挙国一致体制を作り出すための政策であった。この動きは、同年に出された神仏分離令や、それに伴う過激な廃仏毀釈の運動とも深く結びついていた。
二官六省制における最高位への格上げ
明治2年(1869年)の官制改革(二官六省制)に際して、神祇官は行政全般を統括する太政官から完全に独立し、これと同格、あるいは理念的にはそれ以上の地位を与えられた。神祇官は、全国の神社や神職を支配下に置き、宣教使を派遣して民衆に「敬神愛国」などの教義を説く大教宣布運動を推進した。これはキリスト教などの外来思想に対抗し、神道をベースにした近代国家のアイデンティティを確立しようとする「神道国教化」の試みであった。
近代化の潮流と神祇官の終焉
しかし、前近代的な復古神道主義に基づく宗教統制は、近代国家としての法制度整備を進める実務派官僚(大久保利通や木戸孝允ら)との間で摩擦を生んだ。また、欧米列強からキリスト教禁教に対する強い非難(外圧)を受けたこともあり、新政府は近代的な政教分離の方向へ舵を切らざるを得なくなった。明治4年(1871年)に神祇官は神祇省に格下げされ、翌明治5年(1872年)には教部省へと統合されて廃止された。これにより、国家神道の形成プロセスは、復古的な祭政一致から、より洗練された制度的統合へと変容していくことになった。