大教宣布の詔 (だいきょうせんぷのみことのり)
1870年
【概説】
明治新政府が1870年(明治3年)に発布した、神道を事実上の国教とする方針を示した天皇の命令(詔)。古代の祭政一致への復帰を掲げ、天皇の神格化と国民の思想統一を図ろうとしたものである。
発令の背景と「祭政一致」の理念
明治政府は発足当初から、旧幕府体制に代わる新しい国家の精神的支柱として神道を重視した。1868年の神仏分離令によって仏教と神道を明確に区分し、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、政府は祭政一致(政治と祭祀の一体化)を国家の基本方針として位置づけた。この流れの極点として、1870年1月3日(旧暦)に出されたのが大教宣布の詔である。この詔において、明治天皇は「大教(国家の道徳・宗教)」を天下に広めることを宣言し、国民に対して天皇への忠誠と神祇崇拝を求めた。
宣教活動の展開と国教化政策の挫折
大教宣布の詔に基づき、政府は翌年に神祇省を設置し、全国に宣教使(のちの導き手としての教導職)を派遣して民衆の教化を試みた。しかし、神道理論による教化は民衆に受け入れられにくく、また仏教界の強い反発や、キリスト教の黙認を求める欧米列強からの外交圧力にも直面した。その結果、政府は仏教勢力との妥協を図り共同で布教を行う「大教院」などを設置したが、これも内部対立により機能せず、最終的に大教宣布による急進的な神道国教化政策は頓挫することとなった。しかし、この一連の試みは、後の近代天皇制における国家神道の形成に大きな影響を与えることとなった。