祝祭日 (しゅくさいじつ)
1873年制定
【概説】
明治政府が国民に天皇制を浸透させるために制定した、国家的な休日および記念日の総称。太陽暦(新暦)の導入にともない、従来の節句などに代わって皇室の伝統や宮中祭祀を基準とした新たな祝祭日体系が創出された。
太陽暦の採用と祝祭日制度の創設
明治政府は1872年(明治5年)の改暦にともない、従来の太陰太陽暦(旧暦)における五節句などの年中行事を廃止した。これに代わる新たな国家の休日として、1873年(明治6年)の太政官布告「年中祭日祝日ノ分ツ定」により祝祭日が定められた。制度上、国家的な記念日を「祝日」、皇室の神道儀式(宮中祭祀)を行う日を「祭日」と区分し、神武天皇即位の日とされる紀元節(2月11日)や、明治天皇の誕生日である天長節(11月3日)、五穀豊穣を感謝する新嘗祭などの祭日が国家の祝祭日として位置づけられた。
天皇制国家の形成と「国民」の創出
祝祭日の制定は、単なる休日の提供ではなく、国民に天皇を中心とする国家意識(国体論)を浸透させるための重要な教化政策であった。特に学校教育の現場において、祝祭日は「三大節」(のちに四方拝を加え「四方節」)の儀式として厳粛に執り行われた。児童や教員は学校へ登校し、御真影(天皇・皇后の写真)への拝礼や、教育勅語の奉読、祝祭日唱歌の斉唱を義務づけられた。こうした年中行事の再編と学校儀式を通じて、地域ごとの共同体意識は「天皇を首班とする家族国家」という均一な国民意識へと統合されていった。この祝祭日体系は、第二次世界大戦後の1948年に「国民の祝日に関する法律」が制定され、政教分離の原則に基づき再編されるまで維持された。