和気広世 (わけのひろよ)
?〜812年
【概説】
平安時代初期の貴族・実務官僚。護法・忠臣として名高い和気清麻呂の長男であり、一族の子弟を育成するための教育施設「弘文院」を創設した人物。
和気氏の系譜と広世の官歴
和気広世は、宇佐八幡宮神託事件や平安京遷都で活躍した高官・和気清麻呂の長男として生まれた。和気氏は備前国(現在の岡山県)の有力豪族を出自とし、学問と実務能力を武器に朝廷の要職を占めた氏族である。広世もまた卓越した学才を有しており、桓武天皇から嵯峨天皇の治世にかけて、官吏養成機関の長である大学頭(だいがくのかみ)をはじめ、陰陽頭、典薬頭などを歴任した。また、医術や薬学、儒学への造詣が深く、父の意志を継いで神護寺(神護国祚真言寺)の創建・整備に尽力するなど、平安初期の精神文化の興隆に大きく貢献した。
弘文院の創設と大学別曹の歴史的意義
広世の歴史的業績として最も重視されるのが、一族の教育を目的とした私塾的な寄宿施設・図書館である弘文院(こうぶんいん)の創設である。広世は父・清麻呂の遺志を継ぎ、自邸に数万巻に及ぶ膨大な漢籍や典籍を蒐集して学問の場を整え、和気氏のみならず他氏の貧しい学生(大学寮の進士など)にも学問の門戸を開いた。これが日本史上における大学別曹(だいがくべっそう)の初祥とされる。この先駆的な試みは、のちに藤原氏が創設した勧学院や、橘氏の学館院、在原氏・源氏の奨学院といった他氏の大学別曹の設立へと大きな影響を与え、平安朝における学問の自立と貴族文化の発展を促す契機となった。