関税免除

日朝修好条規の付随規則において、日本が朝鮮に対して認めさせた貿易上の極めて不平等な特権(規定)は何か?
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重要度
★★

【参考リンク】
関税(Wikipedia)

関税免除 (かんぜいめんじょ)

1876年

【概説】
1876年、日本が朝鮮(李氏朝鮮)との間で締結した日朝修好条規の付属文書において認めさせた、日本の輸出入品に対する関税を免除する特権。欧米列強から不平等条約を押し付けられていた近代日本が、アジア隣国に対しては自国優位の非対称な貿易関係を強要した不平等な規定である。

日朝修好条規と「無関税」規定の成立

1875年の江華島事件を契機に、翌1876年に結ばれた日朝修好条規(江華条約)は、朝鮮にとって最初の近代的な通商条約であった。日本は同条約の付随文書として「日朝修好条規付録」および「日朝貿易規則」(貿易章程)を締結し、その中で日本側の輸出入品に対する関税を徴収しない「無関税(関税免除)」の規定を盛り込ませた。あわせて日本船の港税(入港税)も免除され、日本は朝鮮市場において圧倒的に有利な立場を獲得することになった。

当時、日本自身が欧米列強との安政五カ国条約によって「関税自主権の欠如」という不平等に苦しんでいた。しかし、対朝鮮外交においては一転して、自国が受けた不平等な通商構造をそのまま隣国に押し付ける形で、帝国主義的な特権を先んじて確保しようとしたのである。

朝鮮社会への経済的打撃と反発

関税免除の特権を得た日本は、朝鮮に対して主にイギリス製の安価な綿織物を輸出し(中継貿易)、朝鮮からは米や大豆などの農産物を安値で買い叩いて輸入した。この無関税貿易により、朝鮮国内の伝統的な家内手工業(綿織物業)は致命的な打撃を被り、穀物の大量流出は国内の物価高騰と食糧不足を引き起こした。

また、国家財政の重要な財源であるべき関税収入を絶たれたことは、李氏朝鮮の国家財政を著しく圧迫した。こうした日本の経済的収奪に対する朝鮮民衆の怒りは、のちの壬午軍乱(1882年)や東学党の乱(甲午農民戦争、1894年)など、激しい排外・反日運動へとつながる温床となった。

条約改定と関税の設定

無関税貿易がもたらす国内経済の崩壊に直面した朝鮮政府は、関税自主権の回復(関税設定)を求めて日本と執拗な交渉を重ねた。また、1882年に朝鮮がアメリカと締結した米朝修好通商条約において関税自主権が認められたことで、日本だけが無関税特権を維持し続けることは外交的に困難となった。

その結果、1883年に日朝通商条約が改定(改約)され、朝鮮側の要求が認められる形で段階的な関税率が設定されることとなった。これによって「関税免除」の特権は解消されたが、日本は引き換えに領事裁判権(治外法権)の強化や、穀物輸出を一時的に禁止できる「防穀令」発令時の事前通告義務を課すなど、依然として優位な外交的地位を維持し続けた。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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