合巻 (ごうかん)
【概説】
江戸時代後期(化政文化期)に流行した、絵入り小説である草双紙(くさぞうし)の一ジャンル。それまで複数冊に分かれて出版されていた黄表紙などの長編作品を、一冊にまとめて(綴じ合わせて)製本した長編絵入り娯楽本である。
黄表紙の長編化と「合巻」の誕生
江戸時代中期、大人向けの風刺的な絵入り娯楽本として「黄表紙」が流行していた。しかし、寛政の改革に代表される幕府の厳しい出版統制により、政治批判や社会風刺が禁じられるようになると、黄表紙の内容は仇討ちや伝奇、お家騒動といったエンターテインメント性の高い長編ストーリーへと移行していった。
当時の草双紙は、1冊5丁(10ページ)という物理的な規格が決まっていたため、ストーリーが長編化するにつれて3冊、5冊と複数冊をセットで販売する形式が定着した。しかし、これらは散逸しやすく、読者にとっても不便であった。こうした背景から、文化4(1807)年頃、戯作者の式亭三馬(しきていさんば)らが、複数冊分の内容をあらかじめ1冊に綴じ合わせて販売する手法を考案した。これが「合巻」の始まりであり、読者は長大な物語を途切れずに手軽に楽しめるようになった。
化政文化におけるメディアミックスと大衆的人気
合巻は、単なる読み物にとどまらず、視覚的な美しさと他ジャンルとの連動(メディアミックス)によって、江戸時代後期の化政文化を代表する大衆娯楽へと成長した。表紙には華麗な多色摺りの錦絵(浮世絵)が用いられ、本文中にも文章を回り込むようにして躍動感あふれる挿絵が描かれた。当時の人気浮世絵師たちが挿絵を手がけたことで、合巻は一種の美術品としても愛好された。
その最高傑作とされるのが、柳亭種彦(りゅうていたねひこ)作、歌川国貞(うたがわくにさだ)挿絵による『偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)』である。古典『源氏物語』の舞台を室町時代に置き換えて翻案したこの作品は、江戸の庶民、とりわけ大奥の女性たちの間で爆発的な人気を博した。合巻のヒット作はすぐに歌舞伎として舞台化され、芝居の人気役者が合巻の挿絵のモデルになるなど、出版業界と芝居小屋、浮世絵師が一体となった巨大な商業主義的流行が創出された。
天保の改革による弾圧と明治への継承
大衆の圧倒的な支持を集めた合巻であったが、天保12(1841)年に始まった天保の改革において、江戸幕府による厳しい弾圧の標的となった。老中・水野忠邦が推し進める「倹約」や「風紀取締り」の観点から、豪華な多色摺りの表紙や、大奥の奢侈を連想させる内容が問題視されたのである。その結果、『偐紫田舎源氏』は絶版・発禁処分となり、著者の柳亭種彦は厳しい取り調べのさなかに急死した。
この弾圧により合巻は一時的な衰退を余儀なくされたが、幕末から明治時代初期にかけて再び息を吹き返した。文明開化の世相を反映した「開化合巻」や、事件を報じる「新聞合巻」へと姿を変えながら存続し、近代日本の大衆小説や新聞小説、さらには現代の劇画や漫画文化へとつながる視覚的ストーリーテリングの源流となった。