ハリス
【概説】
アメリカ合衆国の外交官であり、初代駐日総領事および初代駐日公使を務めた人物。アロー戦争における清国の敗北という国際情勢を巧みに利用して江戸幕府に圧力をかけ、1858年に日米修好通商条約の締結を実現させた。日本の本格的な開国と自由貿易体制への移行に決定的な役割を果たしたことで知られる。
駐日総領事としての来日と下田着任
タウンゼント・ハリスは、もとはニューヨークの貿易商人であり、早くから東洋貿易に関心を持っていた人物である。1854年にマシュー・ペリーが締結した日米和親条約の規定に基づき、1856年(安政3年)、アメリカ合衆国の初代駐日総領事として日本に派遣された。彼はオランダ語通訳のヘンリー・ヒュースケンを伴って伊豆の下田に来航し、玉泉寺にアメリカ総領事館を開設した。
当時の江戸幕府は、和親条約を結んだとはいえ、諸外国との本格的な貿易には極めて消極的であった。そのため、ハリスは着任当初から幕府役人の様々な妨害や冷遇を受けたが、粘り強く交渉を重ね、次第に幕府に対する発言力を強めていった。
将軍への謁見と通商条約への圧力
ハリスの最大の目的は、日米間における通商条約の締結(自由貿易の開始)であった。彼は下田での局地的な交渉に見切りをつけ、日本の最高権力者である将軍に直接アメリカ大統領の親書を手渡すことを強硬に要求した。
1857年(安政4年)、幕府内の反対論を押し切って江戸出府を果たしたハリスは、江戸城に登城し、13代将軍徳川家定に単独で謁見するという画期的な出来事を成し遂げた。これにより、幕府はハリスを正式な外交使節として扱い、老中首座の堀田正睦らと本格的な通商条約の交渉に入ることとなった。
アロー戦争の利用と日米修好通商条約の締結
交渉においてハリスが最大の武器としたのは、同時代の東アジアの切迫した国際情勢であった。隣国の清(中国)では、イギリスとフランスが引き起こしたアロー戦争(第二次アヘン戦争)が勃発しており、清が圧倒的な軍事力の前に敗北を喫しつつあった。
ハリスは堀田正睦らに対し、「アロー戦争を終結させた英仏の強大な連合艦隊が遠からず日本に押し寄せ、武力によって不当な条約を強要するだろう。そうなる前に、領土的野心を持たないアメリカと平和的に好条件の条約を結んでおくべきである」と説き伏せた。この巧妙な外交戦術により、ついに幕府は条約締結の方針を固めたのである。
朝廷からの勅許を得られないまま、大老・井伊直弼の決断によって、1858年(安政5年)に日米修好通商条約が調印された。この条約には関税自主権の欠如や領事裁判権(治外法権)の承認といった不平等な内容が含まれており、その後の日本外交における最大の課題(条約改正)の端緒となった。
歴史的意義と開国への影響
条約締結後、ハリスは初代駐日公使に昇格し、江戸の麻布善福寺に公使館を構えて日米関係の構築に尽力した。1862年(文久2年)に病気を理由に帰国するまで、日本の開国期における外交の最前線に立ち続けた。
ハリスはペリーのような「砲艦外交」とは異なり、直接的な武力を行使することなく、最新の国際情勢という情報と巧みな話術によって幕府を開国・自由貿易へと導いた。彼の活動は、日本を長きにわたる鎖国体制から完全に脱却させ、近代的な国際社会(万国公法体制)へと引きずり込む決定的な契機となった点で、日本史上極めて重要な意味を持っている。