雑穀
【概説】
江戸幕府が幕末の開国に伴う物価高騰に対処するために発令した「五品江戸廻送令」において、輸出規制の対象とされた5品目の一つ。大豆、小豆、小麦、粟、稗などの穀類を指し、庶民の主食や加工食品の原料として国内の消費生活に直結していた重要物資。
幕末の貿易開始と物価高騰
1858年(安政5年)に日米修好通商条約をはじめとする安政の五カ国条約が締結され、翌1859年から横浜などの開港場で自由貿易が開始された。これにより、日本の特産品が大量に海外へ輸出されるようになったが、急激な需要増加に対して国内の生産供給が追いつかず、激しい物資不足と物価暴騰を引き起こした。特に生糸、雑穀、水油、蝋、呉服の5品目は影響が大きく、庶民の生活を著しく圧迫した。この事態を重く見た江戸幕府は、1860年(万延元年)に五品江戸廻送令を発令し、これら5品目を横浜へ直接送ることを禁じ、必ず一度江戸の地問屋を経由させて流通を統制しようと試みた。
雑穀規制の背景と法令の挫折
五品江戸廻送令の対象となった「雑穀」は、大豆や小豆、小麦、さらには当時の主要な主食層を支えていた粟や稗などを含んでいた。これらは醤油、味噌、豆腐などの醸造・加工食品の原料としても不可欠であり、価格の高騰は即座に都市民の打ちこわしなどの社会不安へと繋がった。幕府は、特権商人である江戸の株仲間に雑穀の流通を抑えさせることで、価格の安定と江戸への物資供給を確保しようとした。しかし、生産地から直接横浜へ売却して利益を得ようとする在郷商人や、自由貿易を阻害されることを嫌ったイギリス公使オールコックなどの外国勢力がこの命令に強く反対した。さらに、取り締まりを逃れる密貿易も横行したため、五品江戸廻送令は実質的な効果を上げることができず、幕府の権威失墜と流通統制の破綻を露呈することとなった。