金銀出入 (かねぎんしゅつにゅう)
江戸時代
【概説】
江戸時代の民事訴訟において、金銭の貸借や売掛金の回収などをめぐる紛争のこと。利息を伴う無担保の借入金に関する訴訟が多く、商品経済の発達とともに件数が急増した。幕府は裁判業務の停滞を防ぐため、当事者間での解決を命じる「相対済し令」をしばしば発令した。
本公事と金銀出入の法的位置づけ
江戸時代の司法制度において、民事訴訟は「公事(くじ)」や「出入(しゅつにゅう)」と呼ばれた。このうち、土地の領有権や境界をめぐる争いなどは「本公事(ほんくじ)」として最優先で処理されたが、一方で無担保の金銭貸借や売掛金の不払いをめぐる論争は金銀出入に分類された。
金銀出入は、質地(しっち)のように担保が存在する「質地出入」とは区別され、あくまで当事者間の個人的な信用取引に基づくものであった。そのため、幕府にとっては私事(わたくしごと)の争いとみなされ、優先順位の低い訴訟として扱われた。
訴訟の急増と「相対済し令」による抑制
江戸中期以降、貨幣経済や商品流通の急速な進展に伴い、庶民や武士の間で金銭トラブルが頻発し、奉行所に持ち込まれる金銀出入の訴訟件数は爆発的に増加した。これにより裁判実務が麻痺し、本来優先すべき重要裁判に支障をきたすようになった。
この事態に対し、幕府は裁判の停滞を解消し、また債務に苦しむ武士(旗本・御家人など)を救済するため、金銀出入の訴訟を原則として受理せず、当事者同士の話し合いで解決させる相対済し令(あいたいすましれい)を度々発令した。代表的なものとして、元禄15年(1702年)や、享保の改革において徳川吉宗が出した享保4年(1719年)の法令が知られている。これにより幕府の裁判負担は軽減されたが、一方で金融流通の停滞や、幕府の裁判権に対する信用の低下を招く要因ともなった。