間引 (まびき)
江戸時代
【概説】
江戸時代の農村を中心に広く行われた、出生直後の乳幼児を圧死等させて人工的に処分した人口抑制(口減らし)の風習。極度の貧困や重い年貢負担、飢饉などを背景に、生活維持や家名の存続を図るために行われた。幕府や諸藩はこれを禁止し、子育て支援策などを講じたものの、明治期に至るまで根絶することは困難であった。
生活苦と「家族計画」としての背景
江戸時代中期以降、とりわけ東北地方などの寒冷地や度重なる大飢饉(享保・天明・天保の飢饉)に見舞われた地域において、間引きは「口減らし」として常態化した。農民たちは、容赦ない年貢の取り立てや物価の高騰に苦しみ、生まれてきた子供をすべて養うことが物理的に不可能であった。また、単なる突発的な貧困対策としてだけでなく、家産(土地や財産)の過度な細分化を防ぎ、効率的な農業経営を維持するための、一種の過酷な「計画出産(家族計画)」としての側面も強かったとされる。
幕政・藩政の対応と禁止令の実態
農村の人口減少は、年貢の担い手である本百姓の減少に直結し、幕府や諸藩の財政を直接脅かす深刻な問題であった。そのため、江戸幕府や各藩は間引きを「堕胎」とともに厳しく禁じる触書を度々発した。特に白河藩主から老中となった松平定信は、寛政の改革において赤子養育法を制定し、貧困層に子育て資金を支給するなどの救済策を講じた。しかし、農村の根本的な構造的貧困が解消されなかったため、間引きの風習は水面下で存続し、明治政府による近代的な法整備(堕胎罪の制定など)を待つまで完全に根絶されることはなかった。