栗橋関

日光・奥州道中の武蔵・下総国境の利根川沿いに置かれた関所はどこか。
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栗橋関 (くりはしぜき)

1616年〜1869年

【概説】
江戸時代に日光道中および奥州道中の武蔵国・下総国境に設置された江戸幕府直轄の関所。利根川の渡河地点である「房川の渡し」に置かれ、江戸防衛と交通統制の要衝として機能した。

日光・奥州道中の要衝と「房川の渡し」

栗橋関は、江戸幕府が整備した五街道のうち、徳川家康を祀る日光東照宮へと至る日光道中と、東北方面へと伸びる奥州道中の共通区間に位置していた。武蔵国葛飾郡栗橋宿(現在の埼玉県久喜市)と下総国葛飾郡中田宿(現在の茨城県古河市)の間の利根川(当時は房川とも呼ばれた)の渡し場に置かれたことから、正式には「房川渡関所」(ぼうがわのわたしせきしょ)と称される。

元和2年(1616年)に幕府が定船頭を置いて旅人の私船による渡河を禁じたのが起源であり、寛永年間に関所としての制度が確立された。江戸幕府が行った「利根川の東遷事業」によって利根川が江戸の北方を守る巨大な外堀の役割を果たすようになる中、栗橋関はその防衛線を渡るための軍事・交通管理の最重要拠点の一つとなった。

「入り鉄砲に出女」の監視と江戸防衛の役割

幕府の関所政策の基本である「入り鉄砲に出女」の取り締まりにおいて、栗橋関は東海道の箱根関所や中山道の碓氷関所などと並び、特に厳しい監視が行われた関所であった。とりわけ江戸から地方へと脱出しようとする大名の妻(出女)の監視は徹底されており、通行には老中が発行する「御留守居証文」などの厳格な手形が必要とされた。

また、歴代将軍が日光東照宮に参詣する日光社参の際には、この関所周辺および利根川の渡河が最大の難所かつ警備の重要箇所となった。将軍の通行に際しては、船を並べて板を渡した臨時の「船橋」が架けられ、厳重な警備体制が敷かれた。その後、幕末の動乱期を経て、明治2年(1869年)に明治政府が発した関所廃止令によってその役目を終えた。

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最終更新:2026年6月20日 @ 14:54

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