奈良奉行
1613年〜1868年
【概説】
江戸幕府が西国の重要拠点に配置した遠国(おんごく)奉行の一つ。東大寺や興福寺をはじめとする南都(奈良)の有力寺社の監視や寺社領の管理、および大和国一円の幕府領の支配と治安維持を担った官職。
南都の寺社勢力に対する統制と監視
大和国(現在の奈良県)は、中世以来、興福寺や東大寺などの強大な寺社勢力が割拠し、広大な守護不入の権権(独自の支配権)を維持してきた地域であった。織田信長や豊臣秀吉による検地や刀狩を経てこれら寺社勢力の軍事力・政治力は解体されつつあったが、依然として地域への思想的・社会的影響力は無視できないものがあった。
江戸幕府は、これら南都の寺社を厳格に統制するため、慶長18(1613)年に大和代官を廃して奈良奉行を設置した。奉行は老中の支配下に置かれ、寺社の知行領(寺社領)の管理、宗教行事の監督、さらには僧侶の取り締まりを通じて、かつて国人や僧兵を擁して幕府や守護に対抗した中世的権力を完全に無力化し、幕藩体制の中に組み込む役割を果たした。
複雑な大和国における民政と治安維持
奈良奉行のもう一つの重要な任務は、大和国一円の民政と治安維持である。大和国は小藩が分立し、幕府領(天領)、旗本領、多くの寺社領が複雑に入り組むモザイク状の支配構造を呈していた。このため、境界紛争や治安上の問題が発生しやすく、奈良奉行はこれらの諸領にまたがる訴訟を処理する裁許権を持った。
奉行所は奈良の町中(現在の奈良女子大学附属中等教育学校の敷地付近)に置かれ、町代や与力・同心を配して町政や裁判を行った。歴代奉行の中には、幕末に活躍した川路聖謨(かわじとしあきら)などの能吏も知られており、川路は奈良の景観保護や植林、貧民救済などに尽力し、現代でも現地で高い評価を受けている。