吉田家
【概説】
室町時代後期から近代にかけて、日本の神道界において支配的な権威を誇った京都の公家。江戸幕府が制定した「諸社禰宜神主法度」を通じて、全国の神職を実質的に統括する特権を認められた家柄である。
吉田神道の成立と家格の台頭
吉田家(古くは卜部氏)は、室町時代後期の吉田兼倶(よしだかねとも)が、仏教や儒教を統合した「唯一神道(吉田神道)」を大成したことで急激に台頭した。兼倶は、伝統的な神祇官の長官家であった白川家(伯家)に対抗し、吉田家こそが神道の正統であると主張して独自の神道神学を確立した。これにより朝廷から神名や神階、神職の免許を発給する特権(神道裁許状の発給権)を認められ、全国の神社に対する影響力を強めていった。
江戸幕府による公認と諸社禰宜神主法度
江戸時代に入ると、徳川幕府は宗教統制の一環として1665(寛文5)年に諸社禰宜神主法度(しょしゃねぎかんぬしはっと)を発布した。この法度により、代々朝廷から位階を得ている社家などの例外を除く全国の一般神職は、吉田家が授与する「神道裁許状」を取得することが事実上義務付けられた。これにより吉田家は、幕府の統制機関(のちの寺社奉行)のもとで、全国の神職を組織的に支配・統括する公的な権限を獲得し、神道界の頂点としての地位を確固たるものとした。