サン・ファン・バウティスタ号

慶長遣欧使節が太平洋を横断する際に乗船した、伊達政宗が建造させた西洋式の大型帆船は何か。
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サン・ファン・バウティスタ号

1613年建造

【概説】
江戸時代初期に仙台藩主・伊達政宗が建造させた、日本初の本格的な西洋式帆船(ガレオン船)。支倉常長を副使とする慶長遣欧使節を乗せて太平洋を往復し、日本の造船・航海史上に大きな足跡を残した。

伊達政宗の通商野心と船の建造

1611年の慶長三陸地震による被害からの復興と領内経済の活性化を模索していた伊達政宗は、スペイン領ノビスパン(現在のメキシコ)との直接貿易を計画した。政宗は将軍・徳川秀忠や大御所・徳川家康の承認を得た上で、江戸幕府の船手頭であった向井将監らの技術協力を受け、さらに日本に滞在していたスペイン人探検家セバスティアン・ビスカイノの技術指導を仰いだ。これにより、仙台藩領の月浦(現在の宮城県石巻市)において約45日間の突貫工事で建造された西洋式大型ガレオン船が、サン・ファン・バウティスタ号(洗礼者聖ヨハネ号の意)である。

太平洋横断と慶長遣欧使節の挫折

1613年(慶長18年)、サン・ファン・バウティスタ号は支倉常長ら総勢180余名を乗せて月浦を出帆し、約3ヶ月の航海の末に太平洋を横断してメキシコのアカプルコに到着した。その後、使節団の本隊はヨーロッパへと渡ったが、船は一旦日本へ帰国した後に、再度使節を迎えるために太平洋を往復した。しかし、使節の派遣中に江戸幕府が禁教令を強化してキリスト教排除と鎖国へと方針を転換したため、スペインとの通商交渉は失敗に終わった。役目を終えた船は最終的にマニラでスペイン側に売却され、政宗の壮大な海外通商の野望は潰えることとなった。

支倉常長慶長遣欧使節の真相: 肖像画に秘められた実像

肖像画に刻まれた細かな意匠や背景を読み解き、支倉常長という人物の実像と苦難の旅路に迫る歴史考察の書。

慶長遣欧使節: 伊達政宗が夢見た国際外交 (531) (歴史文化ライブラリー 531)

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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