第3次鎖国令

1635年に出され、日本人の海外渡航および帰国を全面的に禁止した法令を一般に何と呼ぶか。
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
鎖国(Wikipedia)

第3次鎖国令

1635年

【概説】
江戸幕府が1635(寛永12)年に発令した、対外統制令(いわゆる「鎖国令」)の第三段階にあたる法令。日本人の海外渡航と、海外に在留する日本人の帰国を全面的に禁止した。これにより安土桃山時代から続いていた朱印船貿易が完全に終息し、幕府による対外管理体制が決定的なものとなった。

朱印船貿易の終焉と日本人の海外渡航全面禁止

織田信長や豊臣秀吉の時代から徳川家康の初期にかけて、日本は「朱印船」と呼ばれる公認の貿易船を通じて、東南アジア各地と活発に交易を行っていた。しかし、江戸幕府はキリスト教の流入防止と、西国大名が独自に貿易を行うことで強大化することを防ぐため、段階的に対外統制を強化していった。

1633年(寛永10年)の第1次鎖国令では、老中の許可書(奉書)を持つ「奉書船」以外の渡航を禁じたが、1635年の第3次鎖国令にいたって、幕府は日本人の海外渡航を全面的に禁止した。さらに、すでに海外に渡航していた日本人が帰国することも死罪を以て禁じた。これにより、東南アジア各地に形成されていた「日本町」は本国からの補給や人流を断たれ、急速に衰退していくこととなった。

禁教政策の徹底と「鎖国」の完成へ向けた意義

第3次鎖国令が下された最大の契機は、キリスト教の布教活動を完全に根絶することにあった。日本人が海外と往来すること自体を断絶すれば、海外の宣教師との接触や、キリスト教的な思想が国内に持ち込まれる経路を物理的に遮断できると考えたためである。また、この法令では中国船(唐船)の来航港を長崎に限定するなど、貿易管理の集中化もさらに推し進められた。

このわずか2年後の1637年には、幕府を揺るがす大反乱である島原の乱が勃発する。これにより幕府の禁教への危機感はさらに高まり、1639年のポルトガル船の来航禁止(第5次鎖国令)と、1641年の平戸オランダ商館の長崎出島移転へとつながっていく。第3次鎖国令は、日本人が自ら海を渡る主体的な交易の時代を終わらせ、幕府による一元的な「鎖国」体制を決定づけた、きわめて重要な転換点であった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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