第2次鎖国令 (だいにじさこくれい)
1634年
【概説】
江戸幕府が1634年(寛永11年)に発布した、対外関係の統制およびキリスト教禁教を目的とした法令。前年に出された第1次鎖国令の内容を、長崎奉行の交替に伴って再通達・確認したものである。
長崎奉行の交替にともなう法令の再確認
1634年(寛永11年)5月、3代将軍徳川家光の連署署名による法令が、長崎奉行である大河内正陰と飛鳥井雅賢宛てに出された。これが第2次鎖国令と呼ばれるものである。この前年にあたる1633年には、老中合意による許可状(奉書)を得た船(奉書船)以外の海外渡航を禁じる「第1次鎖国令」が出されていた。第2次鎖国令は、長崎奉行の交替(人事異動)に際して、新任の奉行に対し前年の決定事項を改めて遵守させるための行政的な手続き(再確認)としての意味合いが強かった。
段階的な鎖国体制構築における意義
第2次鎖国令の内容は、奉書船以外の海外渡航の禁止や、海外に5年以上在留する日本人の帰国禁止、キリスト教の取り締まりの徹底など、第1次鎖国令(十七箇条)とほぼ同一のものである。新規の強力な規制が追加されたわけではないが、奉行の交代という行政上の節目において対外政策の方針がブレずに継承されたことは重要である。幕府はこの後、1635年の第3次(日本人の海外渡航・帰国の全面禁止)、1636年の第4次(ポルトガル人の混血児の追放、出島の完成)、そして1639年の第5次鎖国令(ポルトガル船の来航禁止)へと段階的に統制を強め、いわゆる「鎖国」体制を完成させていくことになる。