第2次鎖国令

1634年、新たな長崎奉行の着任に伴って発布され、前年に出された奉書船以外の渡航禁止などを再確認した法令は何か?
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【参考リンク】
鎖国(Wikipedia)

第2次鎖国令 (だいにじさこくれい)

1634年

【概説】
江戸幕府が1634年(寛永11年)に発布した、対外関係の統制およびキリスト教禁教を目的とした法令。前年に出された第1次鎖国令の内容を、長崎奉行の交替に伴って再通達・確認したものである。

長崎奉行の交替にともなう法令の再確認

1634年(寛永11年)5月、3代将軍徳川家光の連署署名による法令が、長崎奉行である大河内正陰と飛鳥井雅賢宛てに出された。これが第2次鎖国令と呼ばれるものである。この前年にあたる1633年には、老中合意による許可状(奉書)を得た船(奉書船)以外の海外渡航を禁じる「第1次鎖国令」が出されていた。第2次鎖国令は、長崎奉行の交替(人事異動)に際して、新任の奉行に対し前年の決定事項を改めて遵守させるための行政的な手続き(再確認)としての意味合いが強かった。

段階的な鎖国体制構築における意義

第2次鎖国令の内容は、奉書船以外の海外渡航の禁止や、海外に5年以上在留する日本人の帰国禁止、キリスト教の取り締まりの徹底など、第1次鎖国令(十七箇条)とほぼ同一のものである。新規の強力な規制が追加されたわけではないが、奉行の交代という行政上の節目において対外政策の方針がブレずに継承されたことは重要である。幕府はこの後、1635年の第3次(日本人の海外渡航・帰国の全面禁止)、1636年の第4次(ポルトガル人の混血児の追放、出島の完成)、そして1639年の第5次鎖国令(ポルトガル船の来航禁止)へと段階的に統制を強め、いわゆる「鎖国」体制を完成させていくことになる。

徳川家康と武田勝頼 (幻冬舎新書)

武田家滅亡の引き金となった攻防を軸に、信玄亡き後の徳川・武田両氏の冷徹な政治力学と緊張関係を解き明かす一冊。

鎖国時代対外応接関係史料 (1972年) (日本史料選書〈9〉)

幕府が諸外国と築いた外交の枠組みを膨大な古文書から紐解き、鎖国という枠組みの中での交流と対峙を追究した稀少な文献。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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