自衛隊
【概説】
1954年(昭和29年)、保安隊と警備隊を統合・改組し、日本に対する直接・間接の侵略からの防衛を主任務として創設された実力組織。第二次世界大戦後の非武装化から冷戦の激化という国際情勢の変化の中で誕生し、憲法第9条との関係において長らく国政上の大きな争点となってきた。
創設の歴史的背景と再軍備への道程
第二次世界大戦の敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下におかれた日本は、ポツダム宣言に基づいて完全な非武装化と旧日本軍の解体が行われた。さらに1947年(昭和22年)施行の日本国憲法第9条により、戦争の放棄と戦力の不保持が明記された。しかし、米ソ冷戦の激化と1950年に勃発した朝鮮戦争が日本の運命を大きく転換させることとなる。在日米軍が朝鮮半島に出撃したことで生じた日本の軍事力の空白を埋めるため、GHQのマッカーサーの指令により警察予備隊(7万5000人)が創設された。これが事実上の日本の再軍備の第一歩であった。
自衛隊の誕生と「防衛二法」
1952年にサンフランシスコ平和条約が発効し日本が独立を回復すると、警察予備隊は保安隊に改組され、あわせて海上警備隊も創設された。その後、アメリカから相互防衛援助協定(MSA協定)の締結と日本の防衛力増強を強く求められた吉田茂内閣は、1954年(昭和29年)に防衛庁設置法と自衛隊法からなるいわゆる「防衛二法」を成立させた。これにより同年7月1日、保安隊と警備隊が統合・改組され、直接および間接の侵略に対する防衛を主任務とする陸上・海上・航空の三自衛隊が正式に発足した。同時に、旧軍の暴走という歴史的教訓を踏まえ、内閣総理大臣を最高の指揮監督者とするシビリアン・コントロール(文民統制)の原則が制度的に確立された。
憲法第9条との関係と国内論争
自衛隊の存在は、戦力不保持を定めた憲法第9条に違反するのではないかという激しい論争を国内に引き起こした。政府は一貫して、自衛隊は独立国家が固有の権利として持つ「自衛のための必要最小限度の実力」にとどまるものであり、憲法の禁ずる「戦力」には該当しないとの見解を維持してきた。一方、革新政党や平和運動家などは自衛隊の違憲性を強く主張し、恵庭事件、長沼ナイキ基地訴訟、百里基地訴訟など、自衛隊の合憲性が問われる数多くの裁判が起こされた。こうした国内の強い平和主義的世論を背景に、「専守防衛」や「非核三原則」、武器輸出三原則といった独自の政策的枠組みが形成され、自衛隊の規模や活動には厳格な歯止めがかけられ続けた。
冷戦終結後の役割の変化と国際貢献
1990年代に入り東西冷戦が終結すると、自衛隊の役割は新たな転換期を迎えた。1991年の湾岸戦争において、日本は多額の資金援助を行いながらも「人的貢献がない」と国際社会から批判を浴びた。これを契機として、1992年(平成4年)にPKO協力法(国連平和維持活動協力法)が成立し、自衛隊は初めてカンボジア(UNTAC)へ派遣された。以降、自衛隊の任務に国際平和協力活動が位置づけられるようになった。さらに、1997年の日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)改定を受けた1999年の周辺事態法や、2001年の同時多発テロを契機とするテロ対策特別措置法などを経て、日米同盟における自衛隊の役割は地理的・内容的に大きく拡大していった。
近年の安全保障環境の変化と安保法制
2007年(平成19年)には、防衛庁が防衛省へと昇格し、長年の悲願であった省への移行を果たした。2010年代に入ると、中国の急速な軍事力強化と海洋進出、北朝鮮の核・ミサイル開発など、日本を取り巻く東アジアの安全保障環境は著しく悪化している。こうした事態を背景に、2015年(平成27年)には安倍晋三内閣のもとで平和安全法制(安保法制)が成立し、歴代内閣が憲法上許されないとして禁じてきた集団的自衛権の限定的な行使が容認された。創設から現在に至るまで、自衛隊は国際情勢の変動と国内の憲法論争の狭間で常に自己規定の変容を迫られながら、日本の安全保障政策の中核としてその実態と役割を拡大し続けている。