第1次鎖国令 (だいいちじさこくれい)
【概説】
江戸幕府が寛永10(1633)年に発令した、キリスト教の禁教と貿易統制を目的とする最初の対外制限令。それまでの朱印船制度を改め、老中の許可書である「老中奉書」を携行する奉書船以外の日本船の海外渡航を禁止し、いわゆる「鎖国」体制の形成への第一歩となった法令である。
背景と「奉書船制度」の導入
江戸幕府第3代将軍徳川家光の治世、幕府は国内の統治基盤を固めると同時に、対外関係の統制を急速に進めた。その主な背景には、西国大名が海外貿易によって富強となり幕府を脅かすことへの警戒と、スペイン・ポルトガルなどのカトリック勢力によるキリスト教布教への強い危機感があった。1633年に発令された第1次鎖国令では、従来の「朱印状」を持つ朱印船であっても、幕府の執政である老中が署名・発行した「老中奉書」を携行する奉書船でなければ海外渡航を認めないという制限(奉書船制度)が課された。これにより、将軍直許の貿易から、幕府組織による直接的かつ厳格な管理体制への移行が図られた。
在留日本人の帰国制限と禁教の徹底
第1次鎖国令は、単なる貿易の制限にとどまらず、海外との人的・思想的往来を絶つ点に本質があった。この法令において、海外に5年以上在留する日本人の帰国を禁じ、帰国後に再渡航を企てる者は死罪とする方針が示された。これは、海外のキリスト教宣教師と国内信徒との連絡網を遮断するための措置であった。また、キリスト教の宣教師や信者を通報した者に賞金を与える訴人褒賞金の制度が明記され、日本国内における潜伏キリシタンの炙り出しと禁教政策が法的に強化された。
「鎖国」の進展における歴史的意義
この法令は、幕府が約10年をかけて段階的に構築した「鎖国」政策の起点として大きな意義を持つ。幕府は翌1634年の第2次、日本人の海外渡航・帰国を全面禁止した1635年の第3次(寛永12年令)、ポルトガル人を長崎の出島に隔離した1636年の第4次、そして1639年の第5次鎖国令によるポルトガル船の来航禁止へと、矢継ぎ早に対外制限を強化していく。第1次鎖国令は、それまでの朱印船貿易を通じた自由な海外発展の時代に終止符を打ち、幕府による長崎貿易の独占体制(管理貿易)の形成を決定づけた画期であった。