第4次鎖国令
1636年
【概説】
江戸幕府が1636年(寛永13年)に発布した、対外統制(鎖国)に関する一連の法令の一つ。キリスト教の布教を防ぐ目的から、ポルトガル人を長崎に新設された人工島「出島」に隔離した。これによって、貿易の監視とキリスト教排除をさらに一歩進めることとなった。
出島の完成とポルトガル人の隔離
江戸幕府は、キリスト教の流入を厳しく制限しつつ、海外貿易の利益を監視下に置く政策を進めていた。その一環として、1634年から長崎の有力商人(出島町人)に命じて長崎港内に扇型の人工島である出島を建設させた。1636年に出島が完成すると、同年の第4次鎖国令によって、それまで長崎市中に居住していたポルトガル人をこの出島に強制的に収容・隔離した。これにより、ポルトガル人と日本庶民との直接の接触は断たれ、キリスト教の布教を水際で防ぐ体制が整えられた。
段階的な「鎖国」の進展と歴史的意義
幕府による一連の「鎖国令」の流れにおいて、前年の1635年(第3次鎖国令)には日本人の海外渡航と帰国が全面的に禁止されていた。この第4次鎖国令では、ポルトガル人の隔離に加え、日本人とポルトガル人の間に生まれた混血児(南蛮文子)を海外(マカオ)へ追放する措置もとられ、キリスト教的要素の排除がより徹底された。この段階ではポルトガル船の来航自体は認められていたが、翌1637年に勃発した島原の乱を契機に幕府はキリスト教への警戒をさらに強め、1639年の第5次鎖国令(ポルトガル船の来航全面禁止)による「鎖国の完成」へと至ることになる。