オッペケペー節

川上音二郎が陣羽織姿で歌い、自由民権の思想を背景に当時の社会や政治を風刺して大流行した歌(節)は何か?
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重要度
★★

オッペケペー節 (おっぺけぺーぶし)

1889年頃

【概説】
明治時代中期に壮士役者の川上音二郎が寄席で歌い、全国的な大流行を巻き起こした社会風刺歌。赤い陣羽織を羽織り、日の丸の扇子を手にした奇抜な姿で、当時の急速な西洋化や政治の腐敗、特権階級の矛盾を痛烈に批判した。自由民権運動の変質期に生まれた「壮士芝居」の代表例であり、近代日本の演劇史および大衆歌謡史における先駆的な存在である。

自由民権運動の挫折と「壮士芝居」の誕生

明治10年代に盛り上がりを見せた自由民権運動は、1880年代後半(明治20年代前半)に入ると、政府による激しい弾圧や「集会条例」「保安条例」の制定、また運動内部の分裂などによって急速に衰退していった。かつて演説壇上で気炎を吐いていた「壮士」と呼ばれる民権運動家たちは、警察の厳しい取り締まりを避けるため、言論に代わる新たな抵抗の手段を模索した。

そうした中で誕生したのが、演劇や寄席といった大衆娯楽を通じて政治思想を訴える壮士芝居(改良演劇)であった。その先駆者となったのが川上音二郎であり、彼は既存の歌舞伎(旧劇)とは異なる、現代の世相を反映させた演劇を創出し、民衆の熱狂的な支持を集めることとなった。

「オッペケペー」が突いた近代化の歪みと世相

川上音二郎が考案した「オッペケペー節」は、陣羽織姿に日の丸の軍扇を激しく振り回し、「オッペケペッポー、ペッポッポー」という奇妙な囃子言葉を挟みながら、ラップ調の速いテンポで世相を風刺するパフォーマンスであった。オッペケペーという言葉は、一説には「人民を愚弄する(おためごかしの)政治」への冷やかしが語源とされている。

歌詞の内容は、伊藤博文内閣が進めた「鹿鳴館外交」に代表される、中身の伴わない極端な西洋崇拝(欧化政策)や、大日本帝国憲法の発布に浮かれる表層的な世相、国権を握って増長する役人や富豪たちの偽善を厳しく突くものであった。「権利幸福嫌いな人に、自由湯をば飲ませたい」といった一節は、国家による圧迫の中でも自由や権利を渇望する民衆の心情を代弁し、大きな共感を呼んだ。

近代大衆メディアの先駆と「新派劇」への発展

オッペケペー節の流行は、単なる一過性の寄席芸にとどまらず、近代日本における大衆メディア・大衆歌謡の最初期のヒット作となった。1900(明治33)年には、パリ万国博覧会に出席した川上音二郎と妻の貞奴がフランスでこの曲を吹き込んでおり、これは日本人による最古のレコード吹き込みの一つとしても歴史に刻まれている。

政治批判や扇動を目的として始まった壮士芝居は、やがて芸術性を高めた家庭劇や悲劇へとシフトし、歌舞伎に対抗する近代演劇のジャンルである新派(新派劇)へと成長していく。オッペケペー節は、その新派劇の原点であり、近代日本の芸能が「政治的な言論」と「大衆娯楽」の境界線上でいかに形成されたかを示す極めて重要な文化的史料である。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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