壮士芝居(書生芝居) (そうしばい(しょせいしばい)
1880年代末〜
【概説】
明治時代中期、自由民権運動の活動家である壮士や書生らによって創始された、政治的宣伝を目的とする素人演劇。政府による激しい言論弾圧を回避し、自らの政治的主張を大衆に広く伝える代替手段として生まれ、のちの「新派劇」へと発展する源流となった。
自由民権運動の挫折と言論弾圧への抵抗
明治政府は、活発化する自由民権運動に対して集会条例(1880年)や保安条例(1887年)などの苛烈な法規を制定し、民権派の街頭演説や政治集会を徹底的に弾圧した。このような状況下、直接的な言論活動を封じられた民権派の活動家(壮士や書生)たちは、弾圧の網の目をかいくぐりながら自らの政治的意見を大衆に届ける新たな表現媒体を模索した。その結果として誕生したのが、演劇という娯楽の形態を借りた「壮士芝居」である。1888年(明治21年)、自由党の壮士であった角藤定憲が大阪で「大日本壮士改良演劇会」を結成して旗揚げした公演が、その先駆とされる。
川上音二郎の活躍と「新派劇」への昇華
壮士芝居は当初、芸術的価値の低い「素人芝居」として見なされていたが、川上音二郎の登場によって状況は一変する。川上は寄席や舞台で「オッペケペー節」などの政治風刺歌を歌って一世を風靡し、大衆の心を掴んだ。さらに川上一座は、日清戦争期にいち早く戦況を題材にした戦争劇を上演して爆発的な人気を博し、演劇としての地位を確立していく。こうした壮士芝居や書生芝居の系譜は、伝統的な歌舞伎(旧劇)に対する近代的な「新派劇」へと成長し、日本の近代演劇史において世相をリアルに反映する写実的な新ジャンルを切り拓く契機となった。