団・菊・左時代

九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎、初代市川左団次の3人が活躍した明治歌舞伎の最盛期を総称して何時代と呼ぶか?
カテゴリ:
重要度
★★

【参考リンク】
歌舞伎(Wikipedia)

団・菊・左時代 (だんきくさじだい)

1880年代後半〜1903年

【概説】
明治中期の歌舞伎界において、九代目市川団十郎、五代目尾上菊五郎、初代市川左団次の三名優が競い合い、圧倒的な人気を誇った黄金時代。江戸時代以来の伝統を受け継ぎつつ、近代社会に即した新しい歌舞伎のあり方を模索し、演劇としての社会的地位を飛躍的に向上させた日本演劇史上の画期である。

演劇改良運動と歌舞伎の近代化

明治維新を経て文明開化が進むなか、江戸時代に「河原乞食」などと蔑まれていた歌舞伎も、近代国家にふさわしい高尚な芸術へと脱皮することを求められた。1886(明治19)年には、政治家の井上馨や実業家の渋沢栄一らを中心に演劇改良会が結成され、学術的・道徳的な観点から演劇の近代化を推進する演劇改良運動が本格化した。この動きに呼応し、歌舞伎の近代化を牽引したのが九代目市川団十郎であった。彼は歴史的事実に忠実な「活歴劇(かつれきげき)」を創始し、従来の荒唐無稽な筋書きを廃して知識層の鑑賞に堪えうる歌舞伎の創出に努めた。1887(明治20)年には、外相・井上馨の邸宅において明治天皇の御前で歌舞伎を披露する天覧劇が実現し、歌舞伎の社会的地位は最高潮に達した。

三者三様の芸風と「歌舞伎座」の隆盛

「団・菊・左」と称された三者は、それぞれ異なる卓越した芸風を持ち寄ることで、明治歌舞伎の多様性と魅力を生み出した。「劇聖」と称された九代目団十郎が格調高い時代物を得意としたのに対し、五代目尾上菊五郎は、江戸の庶民生活をリアルに描く世話物(せわもの)や、明治の世相を反映した「散切物(ざんぎりもの)」、さらには怪談物などで卓越した写実的演技を見せた。そして、初代市川左団次は、豪快な荒事(あらごと)を得意としながらも、新興の演劇ジャンルへも理解を示し、新しい演劇の懸け橋となった。1889(明治22)年に近代的な大劇場である歌舞伎座が開場すると、この三名優が揃い踏みする舞台は連日大盛況となり、明治歌舞伎の黄金期が築かれた。

黄金時代の終焉と次世代への遺産

明治の演劇界を牽引したこの黄金時代は、20世紀の幕開けとともに唐突に終焉を迎える。1903(明治36)年2月に五代目菊五郎が、同年9月に九代目団十郎が相次いでこの世を去り、翌1904(明治37)年には初代左団次も没した。三名優の相次ぐ死によって「団・菊・左時代」は幕を閉じたが、彼らが追求した「古典の整理と継承」および「近代に対応する演劇の創造」という課題は、大正期以降の新歌舞伎の発展や、次代を担う六代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門らへと確実に受け継がれ、今日の歌舞伎の揺るぎない基礎となった。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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