場所請負制度

商場知行制に代わり、松前藩や家臣が和人の商人に商場の交易権を委託し、運上金を納めさせた制度を何と呼ぶか。
カテゴリ:
重要度
★★★

場所請負制度 (ばしょうけおいせいど)

18世紀前半〜1869年

【概説】
江戸時代中期以降、松前藩やその家臣が蝦夷地の特定の領域(場所)における交易権・漁業権を和人商人に委託し、その代償として運上金(税)を納めさせた制度。本州の経済発展に伴う海産物需要の増加を背景に成立し、アイヌ民族を過酷な労働力として酷使する結果を招き、幕末から明治初年まで続いた。

商場知行制の行き詰まりと制度の成立

江戸時代初期、米の収穫が見込めない松前藩は、蝦夷地を複数の「商場(あきないば)」と呼ばれる領域に分割し、藩主や家臣にアイヌとの独占交易権を与える商場知行制(あきないばちぎょうせい)をとっていた。しかし、17世紀後半のシャクシャインの戦い(1669年)を経て松前藩の蝦夷地支配が強化される一方で、藩士たちは慢性的な資金不足に陥り、自ら船や商品を調達して交易を行うことが困難になっていった。

そこで18世紀に入ると、松前藩や家臣は自ら交易を行うことを諦め、近江商人などの資金力と流通網を持つ有力な特権商人に商場の運営を全面的に委任し、代わりに一定の運上金を上納させるようになった。これが場所請負制度である。この過程で「商場」という呼称は徐々に「場所」と呼ばれるようになり、単なる交易の場から、海産物を生産する漁場としての性格を強めていった。

本州の経済発展と場所請負商人の台頭

場所請負制度が急速に発展した最大の要因は、本州における商品経済の劇的な進展である。特に上方や瀬戸内海沿岸などでは、綿花をはじめとする商品作物の栽培が盛んになり、多量の金肥(購入肥料)が必要とされた。蝦夷地で生産される鰊粕(にしんかす)や干鰯(ほしか)は、この肥料需要を賄う上で不可欠なものとなった。さらに、長崎貿易の支払いに用いられる輸出品である俵物(煎海鼠、干鮑、鱶鰭)や、食用としての昆布・鮭の需要も急増した。

これらの需要を一手に引き受けた場所請負商人たちは、北前船(西廻り航路)などを駆使して全国的な海運・流通網を掌握し、莫大な富を築き上げた。飛騨屋、栖原屋、後に現れる高田屋などの豪商は、松前藩の財政を実質的に支えるほどの強い影響力を持つに至ったのである。

アイヌ民族の隷従化と蜂起

場所請負制度の確立は、先住民族であるアイヌの社会に極めて深刻な影響を及ぼした。商場知行制の時代には、アイヌは不平等ながらも「交易の相手」としての地位を保っていたが、場所請負制度下では、商人が経営する大規模な漁場における「安価な賃労働者」へと転落を余儀なくされた。

請負商人が現地に派遣した番人や通詞(通訳)たちは、利益を最大化するためにアイヌを徹底的に搾取した。不当な交換レートで借金漬けにし、家族を強制的に引き離して遠方の漁場で過酷な労働を強いるなど、事実上の奴隷的な扱いが横行した。こうした非道な搾取に対する怒りが頂点に達し、1789年に起こったのがクナシリ・メナシの戦いである。しかし、このアイヌの武装蜂起も松前藩によって鎮圧され、結果としてアイヌの隷属的地位はさらに決定的なものとなった。

幕末の蝦夷地直轄化と制度の終焉

18世紀末から19世紀にかけて、ロシア船の接近(ラクスマン来航など)により北方危機が現実のものとなると、江戸幕府は蝦夷地の防衛体制強化と、ロシアの誘引を防ぐためのアイヌ慰撫を急務とした。幕府は1799年(東蝦夷地)および1807年(西蝦夷地含む全島)に蝦夷地の直轄化(第一次)に踏み切った。

幕府は場所請負人によるアイヌへの搾取が辺境の不安定化を招いていると見て、一時的に制度を廃止し、幕府役人による直営(直捌き)を試みた。しかし、広大な蝦夷地の経営と物流を商人の資本やノウハウなしに維持することは不可能であり、結局は請負商人を「場所差配人」などの名目で重用し続けるしかなかった。1821年の松前藩復領を経て、幕末の第二次直轄化(1855年)においても、商人の力への依存から完全に脱却することはできなかった。

この制度が最終的に解体されたのは、明治維新後のことである。1869年(明治2年)に新政府によって開拓使が設置され、「場所請負人廃止の布告」が出されたことにより、1世紀半以上にわたって蝦夷地の社会経済を規定してきた場所請負制度は名実ともに終焉を迎えた。

北海道の歴史散歩 新版 (全国歴史散歩シリーズ 1)

北の大地に刻まれた先人たちの息吹を辿り、道内各地の知られざる歴史と文化の足跡を丹念に紐解く充実のガイドブック。

アイヌの歴史 海と宝のノマド (講談社選書メチエ 401)

北方世界の交易を軸に、海を渡る壮大なスケールでアイヌ文化の真髄と独自の歴史像を浮き彫りにする画期的な研究書。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

日本史一問一答(ランダム)

Q. 新冷戦のきっかけとなったが、ゴルバチョフの決断によって1989年までにソ連軍が完全撤退を果たした国はどこか?
Q. 結崎座(観世座)を率い、田楽の曲舞を猿楽に取り入れて芸術性を高め、京都の今熊野での演能で足利義満に見出された人物は誰か?
Q. 松方財政の緊縮政策によって世の中のお金が減り、農産物の価格が急落して農村が深刻な不況に陥った経済状態を何というか?