対抗宗教改革 (たいこうしゅうきょうかいかく)
【概説】
プロテスタントの台頭に対抗して、カトリック教会が組織の内部刷新と海外への布教拡大を推進した運動。日本史においては、戦国時代末期から安土桃山時代にかけてのキリスト教(キリシタン)伝来や、南蛮貿易の展開を促す直接的な世界史的背景となった。
カトリックの自己改革とイエズス会の結成
16世紀、ヨーロッパにおいてルターやカルヴァンらによる宗教改革が始まると、カトリック教会は急速に支持者を失う危機に直面した。これに対抗するため、カトリック側はトリエント公会議(1545〜1563年)を招集し、教義の再確認や聖職者の規律是正などの内部改革(対抗宗教改革)に着手した。
その中で、カトリックの知的・精神的エリート集団として結成されたのがイエズス会であった。同会は教皇への絶対的忠誠を誓い、ヨーロッパ内での勢力回復を狙うとともに、大航海時代の潮流に乗ってアジアや新大陸などの海外へ向けた、きわめて情熱的かつ組織的な布教活動を展開した。
日本へのキリスト教伝来と戦国・安土桃山社会への影響
対抗宗教改革の熱潮は、日本の歴史をも大きく動かした。1549年、イエズス会の創設メンバーの一人であるフランシスコ・ザビエルが鹿児島に来航し、日本に初めてキリスト教を伝えた。戦乱に明け暮れていた戦国大名たちは、キリスト教の布教を認める見返りとして、ポルトガル船がもたらす最新の武器(鉄砲や火薬)や中国産の生糸を獲得しようとし、これが南蛮貿易の隆盛をもたらした。
のちに天下人となった織田信長も、既存の仏教勢力(比叡山や一向一揆など)を牽制する政治的意図からキリスト教を容認・保護したため、布教は急速に進展した。しかし、豊臣秀吉の時代になると、キリシタンの急速な拡大や信者となった大名(キリシタン大名)による神社仏閣の破壊、さらにはポルトガル商人による日本人奴隷の海外売買などが問題視されるようになり、1587年のバテレン追放令による禁教政策へと舵が切られることとなった。