後期倭寇

16世紀の東アジア海域で活動し、前期とは異なり中国人の海商(密貿易商人)が中心であった海賊を何というか?
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後期倭寇 (こうきわこう)

16世紀

【概説】
16世紀を中心とする東アジア海域において、中国人の王直などの密貿易商人が中心となって組織された海賊集団。明の厳しい海禁政策や日明貿易の途絶を背景に密貿易を展開し、日本の鉄砲伝来や南蛮貿易の端緒を開くなど、中世から近世への移行期における東アジアの国際関係に多大な影響を与えた。

後期倭寇台頭の歴史的背景

14世紀から15世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸を荒らした「前期倭寇」が、対馬・壱岐・松浦地方の日本人を中心としていたのに対し、16世紀に活動した後期倭寇は、その発生の背景や構成員の実態において大きく性質を異にしていた。最大の要因は、中国を支配する明朝が国初から維持していた厳格な海禁政策(私的な海外渡航や民間貿易の禁止)である。

16世紀に入ると、中国沿海部では経済発展に伴って海外の銀や物資への需要が急増したが、明朝は朝貢貿易以外の合法的な交易を認めていなかった。さらに、日本と明の間で行われていた勘合貿易(日明貿易)も、1523年の寧波の乱(細川氏と大内氏による貿易特権を巡る衝突)を契機に衰退し、16世紀半ばには完全に断絶してしまう。これにより、日中間の正規の交易ルートが消滅したことが、かえって中国沿海部の商人や海民たちを非合法な密貿易へと駆り立て、彼らが武装して海賊化していく土壌を生み出したのである。

「真倭は十の二三」――多国籍な構成員と嘉靖大倭寇

後期倭寇の最大の特徴は、その構成員の大多数が中国人(明人)であったことである。当時の明の記録『明史』日本伝に「真倭(本当の日本人)は十の二三、従う者は十の七八」と記されている通り、主体となったのは中国南部の密貿易商人や、生活に困窮して海に逃れた沿海住民であった。彼らは日本の博多や堺の商人、さらには東アジアに進出してきたポルトガル人などのヨーロッパ人とも結びつき、大規模な多国籍ネットワークを構築していた。

彼らは明の嘉靖年間(1522年〜1566年)に最も猛威を振るったため、この時期の倭寇の活動は嘉靖大倭寇(かせいだいわこう)と呼ばれる。明の軍隊が取り締まりを強化すると、彼らはそれに武力で対抗し、中国南部の沿岸都市を襲撃して略奪や放火を繰り返した。

王直の暗躍と日本への影響

後期倭寇の頭目として最も著名な人物が、中国人の王直(おうちょく)である。彼は明の取り締まりを逃れて日本の肥前国平戸(現在の長崎県)や五島列島に拠点を構え、現地の戦国大名である松浦氏などの庇護を受けながら、東アジア海域で広範な密貿易を展開した。

王直の活動は、日本の歴史の転換点にも深く関与している。1543年(天文12年)、暴風雨に遭って種子島に漂着し、日本に鉄砲(火縄銃)を伝来させたポルトガル人は、王直の所有する船に同乗していたとされている。彼らのような後期倭寇の密貿易ネットワークは、日本への鉄砲の普及や、その後のヨーロッパ人との南蛮貿易への道を切り開く決定的な役割を果たしたのである。

後期倭寇の衰退と東アジア海域世界の変容

16世紀後半に入ると、東アジアの情勢変化に伴い後期倭寇は急速に衰退へ向かう。明朝は戚継光(せきけいこう)などの優れた武将を登用して倭寇討伐を強化し、1559年には王直を誘き出して処刑した。さらに明は、強硬な海禁政策が倭寇を招いたと反省し、1567年に福建省の月港を開放して民間人の東南アジアへの渡航を条件付きで認めるなど、海禁政策の緩和に踏み切った。これにより、中国商人は合法的に海外貿易を行えるようになり、密貿易を行う必然性が薄れていった。

一方、日本国内においても、全国統一を進める豊臣秀吉が1588年(天正16年)に海賊停止令(海賊鎮圧令)を発布し、海上勢力の武装解除と私的な海賊行為を厳禁した。こうして日明両国における政策の転換により後期倭寇は終息を迎え、東アジアの海上交易は、江戸幕府による朱印船貿易や、ヨーロッパ諸国を交えた新たな国際商業ネットワークの時代へと移行していくこととなった。

海賊の日本史 (講談社現代新書)

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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