中原章賢(高度な知識を持つ実務官僚としては「是円」の名で知られる) (なかはらのあきかた(ぜえん)
生没年不詳
【概説】
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した貴族・明法家(法学者)。足利尊氏の諮問に応じ、室町幕府の基本方針となった『建武式目』を起草した実務官僚。
明法道の家系と足利政権への接近
中原章賢(是円)は、朝廷において法解釈や裁判実務を家業とする明法道の名門・中原氏の出身である。鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇による建武の新政が混迷を極めるなか、新たな武家政権の樹立を目指した足利尊氏・直義兄弟は、新政権の正当性と実務的な法秩序を整えるため、高い実務能力を持つ明法家を重用した。章賢は弟の真恵(玄恵らとともに鎌倉幕府の実務官僚であった二階堂氏の一族とする説もある)らとともに尊氏に召し抱えられ、新政権のブレーンとして活躍することとなった。
『建武式目』の起草とその歴史的意義
1336年(延元元年/建武3年)、足利尊氏は政権のあり方や京都に幕府を開くことの是非について、章賢(当時は出家して是円)や真恵らに諮問した。これに対する是円らの答申をもとに制定されたのが、全17条からなる『建武式目』である。この式目は、鎌倉幕府の『御成敗式目』を継承しつつ、当時の社会問題であった「バサラ(奢侈・不遜な振る舞い)」の禁止や、裁判の公正、守護の職権制限などを規定し、武家社会の道理に基づいた新たな秩序形成を目指した。章賢らの高度な法知識は、初期室町幕府の過渡期における混乱を収拾し、政権の制度的基盤を固める上で極めて重要な役割を果たした。