陪臣
【概説】
将軍の直接の家臣(直参)ではなく、大名や旗本などの家臣に仕える家臣のこと。一般に「又者(またもの)」とも呼ばれる。江戸時代の武家社会において、将軍との直接的な主従関係を持たない間接的な家臣として位置づけられた。
直参との身分的峻別と「御目見得」の制限
江戸幕府の封建的支配体制において、武士は将軍と直接の主従関係を結ぶ直参(旗本・御家人)と、それ以外の陪臣に峻別された。陪臣は原則として将軍に直接拝謁する資格(御目見得)を持たず、江戸城への登城や公式儀礼においても直参より低く位置づけられた。この厳格な格差は、将軍の権威を頂点とする身分秩序を維持するための象徴的な境界線であった。
しかし、大藩の家老級などの中には、大名並みの数万石の知行(領地)を持つ者も存在した。このような大身の陪臣に対しては、将軍家からの特別な配慮として、例外的に御目見得や官位の受領が認められるケース(陪臣叙爵)もあり、実質的な実力に応じた複雑な格式統制が行われていた。
大名統治の基盤としての陪臣と幕府の不介入
幕府は大名に対して自領の支配権を委ねる「幕藩体制」をとっていたため、陪臣の統制は一義的にはその主君である各大名に任されていた。幕府の司法権は陪臣に直接及ばないのが原則であり、陪臣が罪を犯した場合は主君である大名が独自の藩法(法度)に照らして処断した。これを「陪臣に直接命令を下さない」という、封建制特有の支配原則という。
この仕組みにより、各大名は強固な家臣団(藩士)を組織して自領を統治することができたが、同時に幕府は大名を介して間接的に全武士階級をコントロールする治安維持システムを構築していた。明治維新にともなう版籍奉還と廃藩置県によって大名領国制が解体されると、陪臣も直参とともに「士族」や「卒族」へと再編され、この二重の主従関係は消滅した。