笠置寺
【概説】
京都府南部の笠置山に位置し、鎌倉時代初頭に法相宗の僧・貞慶によって再興された寺院。堕落した南都の旧仏教を立て直すための戒律復興の拠点となった。また、鎌倉末期には後醍醐天皇の挙兵(元弘の乱)の舞台となったことでも知られる。
貞慶の隠棲と旧仏教の改革運動
鎌倉時代初期、貴族との癒着や世俗化が進んでいた南都(奈良)の既成仏教を批判し、内省的な自己改革を試みる動きが現れた。興福寺の学僧であった貞慶(解脱上人)は、名利を捨てて1193年(建久4年)に笠置寺へと隠棲した。貞慶は同寺を拠点に、釈迦如来や弥勒菩薩への熱烈な信仰を捧げるとともに、仏教徒が守るべき道徳的規範である戒律の復興に努めた。法然の専修念仏など新たな宗派(鎌倉新仏教)が台頭するなか、旧仏教側が自己の堕落を克服しようとした「旧仏教の革新運動」において、笠置寺は極めて象徴的な役割を果たした。
後醍醐天皇の挙兵と「元弘の乱」
笠置寺は、険峻な山容を持つ笠置山に位置していたことから、中世の軍事的な拠点としても機能した。1331年(元弘元年)、鎌倉幕府の打倒を計画していた後醍醐天皇は、計画の露見を機に京都を脱出して笠置寺に入り挙兵した(元弘の乱)。一時的に全国の反幕府勢力を鼓舞したものの、幕府軍の猛攻に遭って落城し、本尊の摩崖仏を残して諸堂のほとんどが焼失した。このように笠置寺は、宗教改革の道場であると同時に、鎌倉幕府滅亡へと至る政治的激動の舞台でもあった。