小野好古 (おののよしふる)
884年〜968年
【概説】
平安時代中期の公家であり、承平・天慶の乱において藤原純友の乱を平定した武将。平安初期の文人・小野篁の孫にあたり、三跡の一人として高名な書家・小野道風の兄としても知られる人物。
承平・天慶の乱と追捕使への任命
10世紀前半の平安時代中期、律令体制の形骸化が進む中で地方政治は弛緩し、各地で群盗や海賊が跋扈する社会不安が生じていた。その象徴的な大乱が、関東で起きた平将門の乱と、瀬戸内海で起きた藤原純友の乱(これらを総称して承平・天慶の乱と呼ぶ)である。朝廷は瀬戸内の海賊勢力を組織化して反乱を起こした藤原純友を鎮圧するため、940(天慶3)年に実務官人として信頼の厚かった小野好古を山陽道追捕使(のちに南海道追捕使も兼務)に任命し、現地へと派遣した。
博多津の戦いと乱の平定がもたらした意義
小野好古は、追捕副使に任じられた源経基(清和源氏の祖)らとともに軍勢を率いて西下した。純友の軍勢は大宰府を焼き討ちするなど一時は猛威を振るったが、好古らはこれを追撃し、941(天慶4)年の博多津の戦いにおいて純友の水軍部隊を壊滅させた。逃亡した純友はその後、捕らえられて獄死し、乱は鎮圧された。好古はこの功績によって従四位下から正四位下へと昇進し、のちに大宰大弐や参議といった要職を歴任した。この一連の追捕劇は、朝廷独自の軍事力の限界を露呈させるとともに、好古を支えた源経基などの軍事貴族(のちの武士)が中央政治において存在感を高める契機となった。