毛越寺 (もうつうじ)
12世紀中頃
【概説】
奥州藤原氏第2代当主である藤原基衡が、陸奥国平泉に造営した天台宗の寺院。平安時代後期の浄土教思想を具現化した広大な浄土庭園と、ほぼ完全な形で残る伽藍遺構が特徴である。
奥州藤原氏の拠点形成と毛越寺の造営
平安時代後期、前九年の役・後三年の役を経て奥州(東北地方)に割拠した奥州藤原氏は、平泉を拠点に独自の仏教国土の構築を目指した。初代清衡が中尊寺を建立したのを受け継ぎ、第2代当主の藤原基衡(もとひら)が毛越寺の本格的な造営に着手した。基衡は京都から一流の仏師や職人を招聘し、本尊の薬師如来を安置する金堂円隆寺などの壮麗な伽藍を整えた。これは奥州が産出する豊かな金や名馬による経済力があって初めて可能となったものであり、当時の平泉が京都に匹敵する文化的、政治的自立性を持っていたことを示している。
浄土教の流行と巨大な浄土庭園の意義
毛越寺の最大の見どころは、現世に仏国土(極楽浄土)を再現しようとした大規模な浄土庭園の遺構である。平安末期、末法思想の広まりとともに阿弥陀如来を信仰して来世の往生を願う浄土教が爆発的に流行した。毛越寺の庭園は、その思想を空間的に表現したものであり、中央に位置する広大な「大泉が池」には、平安時代の作庭書『作庭記』の意匠が忠実に再現されている。後に堂塔の多くは戦火で焼失したが、この庭園と伽藍の礎石は良好な状態で保存されており、平泉の「仏国土を表す建築・庭園」の普遍的価値を示すものとして、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。