六勝寺 (りくしょうじ)
【概説】
平安時代後期から末期の院政期に、歴代の天皇や上皇、女院の御願によって京都の白河の地に建立された、寺名に「勝」の字がつく6つの巨大寺院の総称。白河上皇が建立した法勝寺を筆頭に、天皇家(院)の圧倒的な権力と富を象徴する政治的・宗教的建造物群である。
院政の展開と「白河」への御願寺建立
平安時代末期、摂関政治に対抗して上皇が主導する院政が開始されると、政治・文化の中心地は従来の平安京の天皇の居所(内裏)から、鴨川の東方に位置する白河の地へと移った。この地に歴代の上皇や天皇が自らの往生や国家の安泰を祈願して私的に建立した「御願寺(ごがんじ)」が六勝寺である。
六勝寺は、1076年に白河天皇が建立した法勝寺(ほっしょうじ)を皮切りに、堀河天皇の尊勝寺(そんしょうじ)、鳥羽天皇の最勝寺(さいしょうじ)、鳥羽秋門院(待賢門院璋子)の円勝寺(えんしょうじ)、崇徳天皇の成勝寺(じょうしょうじ)、近衛天皇の延勝寺(えんしょうじ)の6寺を指す。中でも最初に建てられた法勝寺は、高さ約80メートルに達する巨大な八角九重塔を擁し、白河院政の権威を視覚的に天下に示すシンボルとなった。
知行国制・受領との関連と歴史的意義
六勝寺の相次ぐ造営は、当時の政治・経済構造と密接に結びついていた。これら巨大寺院の莫大な建設費用や維持費は、国司としての富を蓄積していた受領(ずりょう)階級からの寄進によって賄われた。上皇は重任(国司の再任)や遷任(より豊かな国への転任)を認める見返り(成功・じょうごう)として、彼らに造営を請け負わせたのである。これは院政期に普及した知行国制や荘園整理に伴う院領(寄進地系荘園)の拡大と相まって、天皇家への富の集中をさらに加速させることとなった。
このように、六勝寺は単なる仏教信仰の場にとどまらず、摂関家(藤原氏)を圧倒する院の絶対的な権力を具現化し、独自の経済システム(受領の奉仕)に依拠して築かれた院政期文化の記念碑的遺産であった。しかし、これらはのちの源平合戦などの戦乱や相次ぐ災害によって荒廃し、室町時代の応仁の乱を経てすべて廃絶に至った。