鬼界ヶ島 (きかいがしま)
【概説】
薩摩国(現在の鹿児島県)の遥か南方の絶海に位置するとされた、平安時代末期における代表的な流刑地。1177年の「鹿ケ谷の陰謀」に加担した俊寛僧都、藤原成経、平康頼らが配流された場所として著名である。
「地の果て」としての流刑地の実態
中世の都人にとって、鬼界ヶ島は中央の権力や文明が及ばない「異界」であり、文字通り鬼が住むと信じられた極限の地であった。実際の比定地については、現在も活発な火山活動を続け、硫黄が算出される鹿児島県三島村の硫黄島とする説や、奄美群島の喜界島とする説などがあり、諸説分かれている。いずれにしても、当時の律令制における遠流(おんる)の地であり、一度流されれば生きて戻ることは叶わないとされる絶海の孤島であった。この地への流刑は、実質的な死刑宣告に等しい過酷な政治的措置であった。
『平家物語』が描く俊寛の悲劇と文学的受容
鬼界ヶ島の名を歴史的・文学的に不朽のものとしたのは、軍記物語である『平家物語』の存在である。1177年の鹿ケ谷の陰謀によって平清盛の怒りを買い、この島へ流された3人のうち、藤原成経と平康頼は赦免(しゃめん)されて都への帰還を許されたが、陰謀の主謀者とみなされた俊寛だけは一人島に取り残された。絶望のうちに島で没した俊寛の悲劇は、後世の能や歌舞伎の定番演目(『俊寛』)として広く親しまれ、日本人の「境界」や「異界」に対する哀切のイメージを象徴する地名として定着することとなった。