西市

平城京の右京(西側)に設けられ、東市と半月ごとに交代で開かれた官営の市場を何というか?
カテゴリ:
重要度
★★

西市 (にしいち)

710年〜784年

【概説】
奈良時代の平城京右京に設けられた、律令国家が管理する官営の市場。左京の東市(ひがしいち)とともに都の二大交易拠点であり、全国から集まる物産の流通や貨幣経済の媒介地として重要な役割を果たした。

平城京における東西の市と西市の立地

奈良時代の都である平城京は、唐の都・長安を模範として設計され、整然とした条坊制が導入された。この都市計画において、都の経済活動を支える中枢として対称的に配置されたのが東市と西市である。東市が左京八条三坊に置かれたのに対し、西市は右京八条二坊に設置された。これらはそれぞれ一町(約120メートル四方)の広さを持ち、周囲を堀や塀で囲まれた区画であった。

東西の市場は、正午の太鼓の合図とともに開門され、日没時に再び太鼓が鳴らされて閉門するという、厳格な時間管理のもとで運営されていた。西市が置かれた右京は、低湿地が多く開発が遅れがちであったとされるが、西国や難波津(大阪湾)方面から淀川・大和川などを経て流入する物資の受け皿として、都の西の玄関口にふさわしい重要な立地を占めていた。

市司による厳格な官営支配と経済的役割

西市は自由な商業スペースではなく、国家による徹底的な管理下に置かれていた。これを監督したのが、京職(きょうしき)の管轄下に置かれた西市司(にしいちのつかさ)という官庁である。市司の主な任務は、取引で使用される度量衡(物差し、秤、枡)が正確であるかを検査・公証することや、財貨の公定価格(市価)を決定して不当な値吊り上げを監視することであった。

また、当時の日本は和同開珎をはじめとする皇朝十二銭を発行し、貨幣経済の浸透を図っていた。西市をはじめとする官営市場は、この銅銭を流通させるための最前線であり、国家は市場での取引に貨幣を使用することを推奨・強制した。地方から平城京へ送られた租税(庸や調)の余剰分や、都に住む貴族・官人たちへ給与として支給された布や米などは、この西市や東市を通じて売買され、都の消費生活を支えたのである。

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最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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