無垢浄光大陀羅尼経 (むくじょうこうだいだらにきょう)
770年奉納
【概説】
奈良時代後期に称徳天皇の誓願によって制作された、小木塔「百万塔」の内部に奉納された印刷経典。制作年代が明確な印刷物としては世界最古級の歴史的価値を持つ、日本の仏教・印刷文化を象徴する史料である。
恵美押勝の乱と鎮護国家の誓願
764年(天平宝字8年)、孝謙上皇と道鏡の台頭に危機感を抱いた藤原仲麻呂が挙兵した恵美押勝の乱(藤原仲麻呂の乱)は、朝廷を揺るがす大事件となった。乱を鎮圧し、重祚して権力を掌握した称徳天皇は、乱における戦死者の慰霊と、自らの滅罪、そして国家の平穏を祈願するため、100万基の三重の小木塔(百万塔)を制作することを誓願した。この「百万塔」の中に納められたのが、中国(唐)から将来された『無垢浄光大陀羅尼経』に説かれる呪文(陀羅尼)である。事業は770年(神護景雲4年)に完成し、東大寺や法隆寺などの十大寺に分納された。これは、仏教の力で国家を守護しようとする鎮護国家思想の具体的な表れであった。
世界最古級の印刷技術とその謎
『無垢浄光大陀羅尼経』は、幅約5センチメートル、長さ数10センチメートルの細長い麻紙に印刷されており、「根本」「自心」「相輪」「六度」の4種の陀羅尼が存在する。この印刷技術については、木に文字を彫った木版印刷とする説と、金属に文字を鋳造した銅版(鋳造版)印刷とする説があり、現在でも研究者の間で議論が続いている。中国や朝鮮半島にも同経典の古い印刷遺例が存在するが、770年という明確な製作年(奉納年)が判明している点において、大量印刷された実物が現存する世界最古級の記念碑的史料であり、東アジアの印刷技術史を紐解く上で極めて重要な位置を占めている。