計帳

重要度
★★

計帳 (けいちょう)

702年法制化

【概説】
律令制下において毎年作成された、人民の把握と税の徴収を目的とした台帳。6年に1度作成される「戸籍」が班田収授のための基本台帳であったのに対し、計帳は毎年の調や庸、雑徭などの課税および兵役を課すための直接的な基礎資料として用いられた。

戸籍との役割分担と人身支配の構造

大宝律令(701年)の制定により本格的に整備された日本の律令国家は、個別支配方式(人身支配)を原則としていた。国家が人民に土地を与え、代わりに税を課すこのシステムを維持するため、戸籍計帳という2つの台帳が作成された。

戸籍が6年に1度作成され、主に班田収授(口分田の与奪)のための基本台帳として30年間保存されたのに対し、計帳は毎年作成された。律令国家にとって、各戸の年齢構成や労働力の変化を毎年正確に捕捉することは、税収を維持するために不可欠であった。計帳は、成人男性に科される調(特産物)や(布など)、さらには兵役雑徭(労役)といった、労働力に依存する税の賦課基準として機能したのである。

計帳の作成プロセスと「手実」

計帳の作成は、毎年6月末までに各戸の戸主が自己申告書である手実(しゅじつ)を提出することから始まった。この手実をもとに、郡司や国司が実態を調査・確認し、国ごとにまとめられた計帳が作成された。完成した計帳は、毎年8月末までに中央政府(民部省)へと送られた。

計帳に記載される情報は非常に具体的であった。氏名や年齢、戸主との親族関係だけでなく、調や庸の区分(正丁・中男など)を厳格に判定するため、身体の特徴や障害の有無までもが記録された。これは、課税逃れや兵役逃れを防ぐための監視機能も兼ねていた。

「正倉院文書」が伝える古代社会の実態

計帳は、用済みとなった後に中央官庁で裏紙として再利用されるなどし、その一部が東大寺の正倉院に正倉院文書として伝存している。特に天平6年(734年)の『駿河国計帳』などは、当時の人々の家族構成や平均寿命、さらには「偽籍(ぎせき)」と呼ばれる税逃れのための虚偽申告の実態を現代に伝える一級の歴史史料となっている。

平安時代中期に入り、律令制的な人身支配から、名田を単位とする土地支配(公領・荘園)へと社会構造がシフトすると、個々の人民を厳密に把握する計帳は作られなくなり、国家の衰退とともにその役割を終えた。

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Q. 古墳時代、渡来人などを中心に編成され、鉄器製造や機織り、文筆などの専門技術でヤマト政権に奉仕した部民(職業集団)を何というか?
Q. 北京原人やジャワ原人などに代表される、火や言葉を使い、狩猟や採集を行っていた人類の進化段階を何というか?
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