品部 (しなべ)
【概説】
古墳時代の中期以降、ヤマト政権において特定の職業や高度な手工業技術をもって朝廷に奉仕した部民(べみん)の集団。朝鮮半島からの渡来系技術者を中心に組織され、政権の財政や軍事、外交を支える技術的・経済的基盤となった制度である。
部民制における品部の位置づけと渡来人の役割
古墳時代のヤマト政権は、中央の豪族や地方の共同体を再編・支配するため、人々を職能や所属ごとにグループ化して組織する部民制(べみんせい)を敷いた。この部民制において、大王(おおきみ)家の直轄領を耕作する「田部(たべ)」や、大王の名名を後世に残すための「名代(なしろ)・子代(こしろ)」、諸豪族の私有民である「部曲(かきべ)」などと並び、特定の専門職能をもって政権に奉仕したのが品部(しなべ)である。
品部の多くは、5世紀以降に朝鮮半島から日本列島へと移住した渡来人(帰化人)とその子孫によって構成されていた。当時の日本にはなかった高度な先進技術を持っていた彼らを、ヤマト政権は職能ごとに組織化して王権の管理下に置いた。これらの品部を率い、朝廷への奉仕や製品の貢納を統括したのが伴造(とものみやつこ)と呼ばれる中堅豪族(物部氏や大伴氏、蘇我氏のほか、東漢氏や西文氏といった渡来系豪族)であった。
代表的な品部とその歴史的意義
品部には多種多様な職能が存在した。代表的なものとして、鉄器や武器を製作する韓鍛冶部(からかぬちべ)、馬具や鞍を製作する鞍作部(くらつくりべ)、陶器(須恵器)を焼く陶作部(すえつくりべ)、高級な織物を織る錦織部(にしごりべ)、朝廷の記録や外交文書の作成、財務を担う史部(ふひとべ)などが挙げられる。
これらの専門技術集団を直接掌握したことは、ヤマト政権にとって決定的な意味を持った。最新鋭の武具や鉄製品の生産は政権の軍事力を飛躍的に向上させ、地方豪族に対する優位性を決定づけた。また、須恵器や錦織、青銅器などの高級手工業品は、地方の有力豪族への恩賞(配給品)として用いられ、大王を中心とする政治的秩序(氏姓制度)を維持・強化するための重要な統治ツールとなったのである。
律令制への移行と品部の変容
7世紀半ばの大化の改新以降、日本は律令国家の建設へと舵を切り、従来の部民制は基本的に廃止されて「公地公民」へと移行した。しかし、品部が持つ高度な専門技術は、国家の運営や宮廷生活、軍備を維持するために不可欠であり、一律に一般の農民(公民)とすることはできなかった。
そのため、律令制下においても品部は完全には解体されず、大蔵省や宮内省、兵部省などの官司に配属される形で再編された。彼らは「品部(しなべ)」や「雑戸(ざっこ)」と呼ばれ、特定の課税(調や庸)を免除される代わりに、官営工房での労働や技術製品の納入を義務付けられる特別な階民として存続した。このように、古墳時代の品部制度は、古代律令国家における官司制手工業の直接的な前提・基盤となったのである。