堅果類(ドングリ・クルミなど)

重要度
★★

堅果類 (けんかるい)

縄文時代:約1万3000年前〜前3世紀頃

【概説】
縄文時代における人々の食生活を支えた、ドングリ、クルミ、クリ、トチなどの木の実の総称。氷河期が終わり温暖化した日本列島に広がった豊かな森林がもたらした恵みであり、高いカロリーを持つ植物性食料として、縄文人の主食級の地位を占めた極めて重要な資源である。

温暖化が生んだ森林の恵みと縄文の食

更新世(氷河時代)から完新世へと移行し、気候が温暖化すると、日本列島の植生は劇的に変化した。東日本ではブナやナラ、クリなどの落葉広葉樹林が広がり、西日本ではカシやシイなどの照葉樹林が拡大した。これらの森林は、秋になると栄養価の高い堅果類(木の実)を大量に実らせた。

従来の狩猟を中心とした生活では、獲物の動向によって食料供給が不安定になりがちであった。しかし、毎年秋に確実に収穫できる堅果類の存在は、縄文人にとって極めて安定したカロリー源となった。とりわけクリやクルミは、脂質や炭水化物を豊富に含み、動物性の食料に匹敵する重要な栄養源として重宝された。近年の研究では、青森県の三内丸山遺跡のように、縄文人が野生のクリを単に採集するだけでなく、集落の周辺で栽培・管理(クリ林の維持)を行っていた可能性も指摘されている。

「アク抜き」技術の獲得と縄文土器

堅果類の中には、クルミやクリのように採集してそのまま、あるいは軽く火を通すだけで食べられるものもあるが、ドングリ(コナラやクヌギなど)やトチの実には、強い苦みや渋みのもととなる「タンニン」や「サポニン」が含まれている。これらを食用にするためには、高度なアク抜き(渋抜き)技術が必要不可欠であった。

縄文人は、縄文土器を用いて木の実を煮沸したり、あるいは流水に長期間晒したりすることで、有害な成分や苦みを取り除く技術を発達させた。さらに、トチの実のように極めてアクが強いものに対しては、灰(アルカリ性)を加えて煮るという化学的な処理法(灰汁抜き)をも編み出していたことが、遺跡から出土する多量のトチの種皮や、水場に設けられたアク抜き遺構(水さらし場)から明らかになっている。この技術革新によって、それまで利用できなかった森の資源が貴重な食料へと生まれ変わり、人口の維持を可能にした。

貯蔵施設の出現と定住化への貢献

秋に一斉に実る堅果類は、そのままでは冬を越す前に傷んでしまう。そこで縄文人は、収穫した木の実を長期保存するための貯蔵穴(ちょぞうけつ)を開発した。集落の周辺に地面を深く掘り下げたフラスコ状の土坑を作り、そこにドングリなどを詰めて保存したのである。地下の低温・低酸素環境は、木の実の乾燥や腐敗を防ぎ、ネズミなどの害獣から食料を守るのに最適であった。また、低湿地などでは水中に木の実を浸して保存する「水さらし貯蔵」も行われていた。

このような堅果類の「安定した採集」「アク抜きによる食用化」「貯蔵による通年消費」のシステムが確立したことは、縄文人の生活様式を根本から変えた。食料を求めて移動を繰り返す生活から、一年の大半を同じ場所で暮らす定住生活への移行が実現したのである。堅果類は、縄文文化を特徴づける豊かな定住社会を根底から支えた、まさに「生命の源」であったといえる。

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日本史一問一答(ランダム)

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Q. 鍬形石・車輪石・石釧などのように、古墳時代前期の呪術的な副葬品として出土する石で作られた腕輪の形をした製品を総称して何というか?