富樫泰高 (とがしやすたか)
生年不詳〜1515年
【概説】
室町時代後期から戦国時代にかけての加賀国の武将、守護。加賀一向一揆によって守護の富樫政親が滅ぼされた後、一揆勢によって名目上の守護(傀儡)として擁立された人物。
富樫氏の家督争いと一向一揆の台頭
加賀国の在庁官人から守護大名へと発展した富樫氏は、室町時代中期以降、一族間での激しい家督争いを続けていた。富樫泰高もこの内紛に関与し、一時は守護職に就いたものの、甥である富樫成春やその子である富樫政親との間で一進一退の抗争を繰り広げた。この過程で、加賀国内に深く浸透していた浄土真宗本願寺派(一向宗)の門徒組織が、各派閥の軍事力として利用され、次第に国内での政治的発言力を強めていくこととなった。
「百姓の持ちたる国」における傀儡守護としての擁立
1488年(長享2年)、守護の富樫政親が守護権力の強化を図って一向宗の弾圧に乗り出すと、国人領主と本願寺門徒が結託して蜂起した。この加賀一向一揆により、政親は高尾城で自刃に追い込まれる。政親を滅ぼした一揆勢は、室町幕府による追討(一揆鎮圧軍の派遣)を回避し、守護領国としての体裁を維持するために、政親の叔父にあたり、かつて守護の経歴を持っていた泰高を再び守護として擁立した。しかし、泰高には実権はなく、加賀の実質的な支配権は本願寺の「三箇寺」や有力国人らによって握られていた。泰高の擁立は、約100年にわたり一向一揆が加賀を自律的に支配する「百姓の持ちたる国」の体制をカモフラージュするための、名目上の措置であった。