高松塚古墳壁画 (たかまつづかこふんへきが)
【概説】
奈良県高市郡明日香村の国営飛鳥歴史公園内にある終末期古墳(円墳)の石室内に描かれた極彩色壁画。1972年の発見当時、色鮮やかな四神や「飛鳥美人」と称される男女群像がほぼ完全な形で遺存しており、戦後日本における最大の考古学的発見として日本中にブームを巻き起こした。飛鳥時代後期(白鳳文化期)における東アジアの国際的な文化交流を今に伝える貴重な国宝史料である。
1. 考古学史上最大の発見と壁画の構成
1972年(昭和47年)3月、奈良県明日香村の農作業中に偶然発見された高松塚古墳は、石室の解体調査によってきわめて美しい絵画群が検出され、一躍時の話題となった。この古墳は7世紀末から8世紀初頭(飛鳥時代後期から奈良時代初期)に築造された、直径約23メートル、高さ約5メートルの終末期古墳である。
凝灰岩の切石で組み立てられた石室の内部には、中国の陰陽五行説に基づく方位の守護神である四神(ししん)(東の青龍、西の白虎、北の玄武。南の朱雀は盗掘によって消失)が描かれている。さらに天井には金箔を用いて描かれた天体図(星宿図)が配され、側壁には日月(太陽と月)、そして当時の宮廷に仕えていたとみられる男女の群像が緻密に描かれていた。特に西壁の女子群像は、その色彩の鮮やかさと高雅な美しさから「飛鳥美人」と呼ばれ、白鳳美術を象徴する作品として知られている。
2. 壁画から紐解く東アジアの国際色
高松塚古墳壁画の歴史的価値は、それが単に美しいだけでなく、当時の日本(倭国)が東アジアと極めて密接な外交・文化関係にあったことを雄弁に証明している点にある。「飛鳥美人」たちが身にまとっている、ひだの付いた縦縞のロングスカート(プリーツ・スカート)や、合わせの深い上着の着こなし、また手にする道具などは、中国・唐代の永泰公主墓(えいたいこうしゅぼ)壁画の侍女図や、高句麗の水山里(すいざんり)古墳壁画の人物像と顕著な類似性を示している。
この時代は、白村江の戦い(663年)での敗北を経て、日本が律令国家の完成に向けて唐の官制や文化を急速に導入していた時期にあたる。壁画に見られる中国や朝鮮半島の高度な絵画様式は、当時の白鳳文化が東アジア共通の知的流行や美意識(唐風文化)をいち早く受容し、独自の高みへと引き上げていたことを裏付けている。
3. 被葬者の謎と近代における保存の歩み
高松塚古墳の規模や壁画の贅沢さから、被葬者はただの豪族ではなく、天武天皇の皇子たち(高市皇子や忍壁皇子など)、あるいは百済・高句麗系などの渡来系高官、あるいは天武・持統朝に仕えた有力貴族のいずれかであると推定されているが、現在でも確定には至っておらず、古代史上の大きな謎として残されている。
また、この壁画は現代日本の文化財保存科学における一大転換点となった。2000年代、石室内の温湿度変化に伴い、カビの異常発生や壁画の剥落といった深刻な劣化現象が表面化した。事態を重くみた国は、2007年(平成19年)に石室を丸ごと解体し、壁画を恒久保存施設へと移して修復を行うという極めて異例の措置を決断した。これにより壁画は救われたものの、近代における文化財の「現地保存」の難しさと、修復技術の課題を浮き彫りにした出来事として、今なお歴史界に大きな教訓を残している。