吉林省集安市

重要度

吉林省集安市

【概説】
中国東北部(満洲)の吉林省南部に位置する、鴨緑江を挟んで北朝鮮と国境を接する都市。古代東アジアを代表する大国・高句麗の首都が置かれた地であり、倭国の朝鮮半島進出を記録した「好太王碑(広開土王碑)」が所在する歴史的都市。

高句麗の都城としての集安と遺跡群

吉林省集安市は、紀元前後から7世紀にかけて存在した高句麗の第2の首都である国内城(こないじょう)および山城である丸都城(がんとじょう)が築かれた場所である。高句麗は西暦3年から、現在の北朝鮮平壌に遷都する427年までの約400年間にわたりこの集安を拠点として領土を拡張し、最盛期を迎えた。現在でも市内やその周辺には、城壁跡のほか、「将軍塚」をはじめとする数千基に及ぶ高句麗時代の古墳が散在しており、「高句麗の首都と古墳群」としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。

好太王碑の発見と日本古代史への影響

集安の歴史的遺物の中で、日本古代史において最も重要視されるのが、414年に高句麗の長寿王が父である広開土王(好太王)の業績を称えて建立した好太王碑(広開土王碑)である。19世紀後半にこの地で発見されたこの巨大な石碑の碑文には、4世紀末から5世紀初頭にかけての倭国(日本)が海を渡って百済や新羅を破り、臣民としたこと、そしてこれを救援しようとする高句麗軍と激しい戦闘を繰り広げたことが記されている。この記述は、当時の倭国(ヤマト政権)の組織的な軍事行動と東アジアにおける政治的立場を裏付ける第一級の同時代史料となっており、日本の古墳時代における対外関係を解き明かす上で不可欠な存在である。

高句麗の歴史と遺跡

東アジアの情勢を解き明かす、高句麗の興亡と息吹を伝える壮大な歴史の探究。

好太王碑の研究 (シリーズ歴史研究)

謎多き碑文の細部を徹底分析し、古代史の真実へと肉薄する学術的達成の書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 古墳時代に大陸や朝鮮半島から日本に渡って定住し、漢字や儒教、仏教のほか、様々な高度な手工業技術をもたらした人々を総称して何というか?
Q. 天智天皇の崩御後、672年に起きた皇位継承をめぐる叔父(大海人皇子)と甥(大友皇子)の武力衝突を、その年の干支から何と呼ぶか?
Q. 天武天皇の子で、武芸・学問(特に漢詩文)に優れていたが、持統天皇によって謀反の罪を着せられ自害した皇子は誰か?