反正天皇 (はんぜいてんのう)
生没年不詳 / 5世紀前半頃
【概説】
古墳時代中期(5世紀前半)に在位したとされる第18代天皇(大王)。仁徳天皇の第3皇子であり、先代の履中天皇の同母弟にあたる大王。中国の歴史書に登場する「倭の五王」の一人である「珍」に比定される有力な候補の一人である。
記紀における反正天皇の伝承
『古事記』や『日本書紀』において、反正天皇は多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)の名で記録されている。病没した兄・履中天皇の跡を継いで即位し、河内の丹比柴籬宮(たじひのしばがきのみき、現在の大阪府松原市)に都を定めた。記紀の記述によれば、生まれながらに美しい歯並び(瑞歯)を持っていたとされ、その治世は風雨が順調で五穀が実り、人民が富み栄えた平和な時代であったとされる。しかし、具体的な政治的・軍事的事績に関する記述は極めて少なく、在位わずか5年ほどで後嗣を定めぬまま崩御したと伝えられている。
「倭の五王」と「珍」をめぐる歴史的意義
5世紀の東アジア情勢において、倭国(日本)は朝鮮半島での主導権確保や先進技術の導入を目指し、中国の南朝へ朝貢外交を展開していた。中国の史書『宋書』倭国伝には、この時期の倭国の首長として「讃・珍・済・興・武」の五人が登場し、これらは「倭の五王」と総称される。このうち、438年に宋へ朝貢した「珍」(「弥」とも表記される)を、系譜上の前後関係などから反正天皇に比定する説が有力である。「珍」は宋の皇帝から「安東将軍 倭国王」に除授されており、倭国の国際的地位の確立に努めた大王として歴史的に位置づけられる。ただし、研究者の間では「珍」を次代の允恭天皇とする説もあり、依然として議論が続いている。