太占(太占の法)

重要度
★★

【参考リンク】
日本法(Wikipedia)

太占 (ふとまに)

古墳時代

【概説】
古代日本において、鹿の肩甲骨などを火で炙り、その表面に生じたひび割れの形から吉凶や神意を読み解く卜占技術。弥生時代から古墳時代にかけて盛んに行われ、集落や共同体、さらには初期の国家における重要な意思決定を左右する宗教的・政治的な儀礼であった。

中国史料と記紀神話に描かれた「骨卜」の起源

太占のような獣骨を用いた占い(骨卜)は、東アジアに広く見られる呪術的文化である。中国の殷代には亀甲や牛骨を用いた大規模な甲骨占いが知られているが、日本列島におけるこの習俗は、3世紀後半に編纂された中国の歴史書『三国志』魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)に早くも記録されている。そこには「その俗、挙事行来、云為する所あれば、輒ち骨を焼き、以て吉凶を兆す」とあり、当時の倭人が日常的な行動から重大な決断に至るまで、骨を焼いて占っていた様子が活写されている。

また、日本の神話(『古事記』『日本書紀』)においても、天岩戸に隠れた天照大神を誘い出す場面や、天孫降臨に際して太占(太占の法)が執り行われる描写があり、この技術が最高尊貴の神事に直結する神聖な儀礼として認識されていたことが窺える。

考古学からみる「卜骨」の実態と社会の変化

考古学の分野では、太占に用いられたとみられる骨を「卜骨(ぼっこつ)」と呼ぶ。日本列島では弥生時代中期以降、主に鹿や猪の肩甲骨を用いた卜骨が、全国の遺跡から多数出土している。手法としては、骨の表面に熱したサクラの木などの炭化物を押し当て、その熱によって生じた「兆(よに)」と呼ばれる特有のひび割れの方向や形状を読み取るものであった。

弥生時代から古墳時代へと社会が複雑化するにつれ、卜骨の出土状況にも変化が見られる。初期には集落の共同墓地や住居跡などから出土し、農耕の豊凶や共同体の融和のための占いであったと考えられる。しかし、古墳時代に入りヤマト政権を中心とする首長連合が形成されると、大規模な居館跡や祭祀遺跡、あるいは有力者の古墳などから洗練された卜骨が出土するようになる。これは、太占が部族的な呪術から、首長権力の正当化や軍事・外交上の決定を下すための統治手段へと変質していったプロセスを示している。

律令体制への継承と「卜部」による組織化

古墳時代を通じて発展した太占は、7世紀後半から8世紀の律令国家形成期にいたっても廃れることはなかった。中国から新たに導入された亀の甲羅を用いる「亀卜(きぼく)」が重んじられるようになる一方で、日本固有の太占もまた国家の祭祀体系に組み込まれていった。

神祇官のもとには、宮中や国家の吉凶を占う専門職として対馬・壱岐・伊豆などから「卜部(うらべ)」と呼ばれる技術集団が集められ、世襲的にその技法を伝承した。古代の政治においては、道理や議論だけでなく、盟神探湯(くかたち)や太占・亀卜といった「神判(神意の請願)」が、法や合意形成を補完する決定的な役割を果たしていたのである。太占は単なる迷信にとどまらず、天皇を中心とする古代王権の正統性を支える重要な統治技術の一環であった。

「日本の歴史」1古代篇 神話の時代から (WAC BUNKO 245)

神話と考古学の交差する地点から日本建国の黎明期を浮き彫りにする古代史の入門書。

日本古代の儀礼と社会

古代社会を支配した呪術的儀礼の変遷を辿り、国家形成の深層心理を読み解く学術的探求の書。

日本史一問一答(ランダム)

Q. 紀元57年、朝貢してきた倭の奴国の使節に対して、印綬(金印)を与えた後漢の皇帝は誰か?
Q. 豪族居館や集落の防御性を高めるため、あるいは権威を示すために周囲にめぐらされた深い溝を何というか?
Q. 倭の五王のうち、安康天皇に比定される4番目の王は誰か?
A.