造 (みやつこ)
5〜6世紀頃
【概説】
古墳時代のヤマト政権において、特定の職業部(品部)を率いて宮廷の実務を担った「伴造」などの中堅・下級豪族に授与されたカバネ(姓)。臣(おみ)や連(むらじ)などと並ぶ、初期の氏姓制度を構成する重要な身分秩序の一つ。
伴造としての役割と「造」の成立
古墳時代のヤマト政権(大和朝廷)は、中央の政治組織を整備するにあたり、朝廷の世襲的・専門的な職務を分掌する集団を組織した。この集団を部(べ)または品部(しなべ)と呼び、これらを率いた首長を伴造(とものみやつこ)と称した。「造」は、この伴造となった豪族たちに与えられたカバネ(姓)である。
代表的なものには、軍事を司った大伴(おおとも)や物部(もののべ)のような有力な「連(むらじ)」の支配下で、実際の製作や実務を指揮した鞍作造(くらつくりのみやつこ)や画師造(えしのみやつこ)、あるいは祭祀や土木に関わった土師造(はじのみやつこ)などがある。彼らはその専門技術や職能をもってヤマト政権を支える実務官僚の祖形となった。
氏姓制度における位置づけと変遷
「造」は、中央の有力豪族である「臣(おみ)」や「連(むらじ)」、地方の有力首長である「国造(くにのみやつこ)」に比べると、身分的には中堅から下級の豪族に位置づけられていた。しかし、朝鮮半島からの渡来人が持つ高度な技術や文字の普及に伴い、実務能力に長けた「造」の地位は、ヤマト政権の拡大とともに重要性を増していった。
その後、大化の改新を経て律令国家への歩みが進むと、従来の氏姓制度は再編を迫られた。天武天皇の時代(684年)に制定された八色の姓(やくさのかばね)において、「造」を姓とする豪族の多くは、より上位の「忌寸(いみき)」や「連」などの新しいカバネに改められ、伝統的な「造」としての政治的区分はその役割を終えた。