京都探訪2の続き。三十三間堂から耳塚、方広寺へ向かいます。三十三間堂の近くには智積院があり、長谷川等伯の智積院襖絵を見に行こうかと思ったのですが、流石に遠回りになるので今回はやめました。

京都国立博物館。そのうち行ってみたいが今回はスルー。


公園のカバ。

これが耳塚です。中には入れないようでした。ここで耳塚のおさらいでも。
安土桃山時代の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際、戦功の証として朝鮮半島から持ち帰られた人々の耳や鼻を埋葬した塚。豊臣秀吉の命によって京都の方広寺(現在の大仏正面通)の門前に築かれ、仏教儀礼による供養が行われた。戦乱の悲惨さと、秀吉の侵略戦争の実態を今に伝える歴史的遺跡である。
ひどいですねぇ。外から合掌。

耳塚から見えるところに豊国神社があります。豊臣秀吉を祀る神社です。

方広寺は豊国神社のすぐ隣。というか同じ敷地?これが例の方広寺の鐘ですね。方広寺のおさらい。
安土桃山時代に豊臣秀吉が京都に創建した、巨大な大仏(京の大仏)を本尊とする天台宗の寺院。天下統一を成し遂げた秀吉が自らの権威を示すために建立を企図し、その造立は「刀狩」の口実としても利用された。のちに豊臣家が再建した梵鐘の銘文が、豊臣氏滅亡の契機となる大坂の陣を引き起こしたことでも広く知られる。

あの銘はどこにあるのかな?文字びっしりだし見つけられないだろうと思ったらなんかアッタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

スマホカメラ最大ズーム。確かに「国家安康」「君臣豊楽」と書いてありますね。はい、方広寺鐘銘事件をおさらい。
慶長19年(1614年)、豊臣秀頼が再建した京都・方広寺の梵鐘の銘文に対して、徳川家康が不適切であるとして言いがかりをつけた事件。これを契機として徳川と豊臣の関係は決定的に決裂し、豊臣氏滅亡へとつながる大坂の陣(大坂の役)の直接的な引き金となった。

鐘を確認した後豊国神社を参拝。秀吉公です。

この唐門は国宝だそうです。伏見城の遺構とのこと。