1890年の恐慌
【概説】
明治中期の1890(明治23)年に発生した、日本最初の資本主義的経済恐慌。松方デフレ脱却後に生じた「第一次企業勃興」の反動として、株式市場の暴落や銀行の取り付け騒ぎを引き起こした。
松方デフレからの脱却と「企業勃興」の過熱
1880年代前半、大蔵大臣・松方正義が推進した緊縮財政(松方財政)は、激しいデフレーションをもたらした一方で、紙幣整理や日本銀行の設立などを通じて通貨価値の安定をもたらした。1885年頃にデフレが底を打つと、金利の低下を背景に民間企業の設立ブームが沸き起こった。これが「第一次企業勃興」である。
この時期、渋沢栄一らが関わった大阪紡績会社の成功をモデルとした近代紡績業や、各地の私設鉄道業を中心に、多くの株式会社が次々と設立された。しかし、これらの企業の多くは自己資本が乏しく、株金の払い込みを銀行からの融資や株式の投機的取引に依存する脆弱な経営体質であった。この実態を伴わない景気過熱が、破綻の引き金となった。
引き締め政策と恐慌の勃発
企業勃興の過熱に伴い、繊維原材料や機械類の輸入が急増した。さらに1889年の凶作による米の輸入増も重なり、日本の国際収支は悪化し、正貨(金・銀)が国外へ流出した。これに対し、日本銀行は正貨の流出を防ぎ通貨価値を維持するため、金融引き締め(金利の引き上げ)を断行した。
この金融引き締めを契機として、1890年1月から株式市場は大暴落に見舞われた。資金繰りが悪化した新設企業は相次いで起業を断念、または操業短縮に追い込まれ、それらの株式を担保に融資を行っていた銀行では預金者による取り付け騒ぎが発生した。これが日本経済が初めて経験した、近代特有の資本主義的恐慌である。事態を重く見た政府と日本銀行は、日本銀行による民間銀行への「非常貸出」などの救済措置を行い、さらなる金融連鎖破綻を食い止めた。
恐慌の歴史的意義と産業構造の変容
1890年の恐慌は、日本経済が「景気循環」を伴う本格的な近代資本主義の段階に突入したことを示す象徴的な出来事であった。この恐慌を通じて、放漫な経営を行っていた中小企業や銀行が淘汰され、経営基盤の強固な大企業や、三井・三菱といった巨大資本(のちの財閥)へと産業・金融の集中が進むこととなった。
また、この恐慌による経済的打撃は、同年に開設された帝国議会において、初期議会と政府(藩閥政権)との間の予算争議(「民力休養・政費節減」の要求)を激化させる社会的背景ともなった。