長崎高資

鎌倉幕府の末期、北条高時のもとで内管領として実権を握り、賄賂政治を行うなどして御家人の不満を高めた人物は誰か?
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【参考リンク】
長崎高資(Wikipedia)

長崎高資 (ながさきたかすけ)

?〜1333

【概説】
鎌倉時代末期の得宗被官であり、幕府の実権を握った内管領。第14代執権・北条高時のもとで専横を極め、その腐敗政治によって鎌倉幕府滅亡の引き金を引いた人物である。

得宗専制の極限と長崎氏の権力掌握

鎌倉時代後期、北条氏の本家である「得宗」の権力が肥大化するなか、得宗の私的な臣下である御内人(みうちびと)が幕政の実権を掌握するようになった。その最高幹部である内管領(ないかんれい)の地位に就いたのが長崎高資である。高資は父の長崎円喜とともに、若年で病弱であった得宗・北条高時を擁立し、寄合(よりあい)などの幕府最高意思決定機関を主導した。これにより、従来の執権や連署、さらには有力御家人らを差し置いて、内管領が幕府の事実上の最高権力者として君臨する「得宗専制」の極限期が形成されることとなった。

賄賂政治の横行と幕府の機能不全

長崎高資の政治は、金銭や利権にまみれた賄賂政治として悪名高い。その象徴的な事件が、陸奥国津軽地方の豪族・安東(安藤)氏の家督争いに端を発した安藤氏の乱である。高資は紛争当事者の双方から賄賂を受け取り、矛盾する判決を下したため紛争は長期化し、幕府の軍事的・政治的権威は著しく失墜した。さらに、1326年の嘉暦の騒動では執権の後継人事を巡って暗躍し、北条一門内の対立を深刻化させた。こうした高資の専横と幕政の腐敗は、各地の武士層に「もはや幕府は頼りにならない」という不信感を植え付け、後醍醐天皇による倒幕運動(元弘の乱)を誘発する一因となった。1333年、新田義貞の鎌倉侵攻によって幕府が陥落すると、高資は北条高時ら一族とともに東勝寺で自刃した。

北条高時と金沢貞顕: やさしさがもたらした鎌倉幕府滅亡 (日本史リブレット人 35)

権力の中枢にありながら優しさを持ち合わせた人物像を通じ、鎌倉幕府が滅亡へと至る過程を紐解く歴史評伝。

北条氏の時代 (文春新書 1337)

北条氏の栄枯盛衰を軸に、武家政権の権力構造と日本中世社会の変遷を多角的な視点から鮮やかに描き出した一冊。

最終更新:2026年6月17日 @ 23:49

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