金毘羅宮(金刀比羅宮)
【概説】
讃岐国(現在の香川県)の象頭山に鎮座し、古くから航海安全や豊漁の神として全国の庶民から広く信仰を集めた社寺。江戸時代には「伊勢参り」と並び、一生に一度の参詣を夢見る「こんぴら参り」の大ブームを巻き起こしたことで知られる。
金毘羅信仰の起源と「金毘羅大権現」の成立
金毘羅宮の起源は、古代より瀬戸内海を見下ろす象頭山(ぞうずさん)に宿る山岳信仰にさかのぼる。中世以降、この地元の信仰が仏教や修験道と深く結びつき、仏教の守護神である「宮比羅(くびら)」を本尊とする金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)が成立した。クビラはサンスクリット語で「ワニ(マカラ)」を意味し、水神や海神としての性格を持っていたことから、瀬戸内海の海上交通の要衝において航海安全・海上守護の神として広く信仰を集めるようになっていった。
江戸時代における「こんぴら参り」の爆発的流行
江戸時代中期以降、社会の安定と街道・航路の整備にともない、庶民の間で「一生に一度」をスローガンとする社寺参詣の旅が空前のブームとなった。なかでも伊勢神宮への伊勢参りに次ぐ人気を誇ったのが、讃岐への「こんぴら参り」であった。当時の江戸幕府は庶民の移動を厳しく制限していたが、信仰を目的とする旅は例外的に認められていたため、参詣は庶民にとって大義名分を得た合法的な「物見遊山(観光旅行)」でもあった。参拝者は全国から集まり、大坂や瀬戸内海の丸亀・多度津などの港は「こんぴら船」や参詣客で大いに賑わい、門前町や宿場町が急速に発展した。また、自身で参拝できない者が、飼い犬に道中のお賽銭や食事代を託して代参させる「こんぴら狗(いぬ)」という独特の風習も生まれた。
明治の神仏分離と現代への継承
明治維新期に新政府が断行した神仏分離令(神仏判然令)は、金毘羅大権現に大きな転換をもたらした。それまでの神仏習合色を一掃し、純粋な神社へと改めることが強制された。これにより、寺院としての金毘羅大権現は廃止され、名称も現在の金刀比羅宮(ことひらぐう)へと改称された。本尊であった十一面観音などの仏像は撤去され、祭神は日本神話に登場する国づくりの神、大物主神(おおものぬしのかみ)へと変更された。このような急激な制度的変革を経験したものの、民間の航海安全や産業守護、五穀豊穣の神としての信仰の根強さは失われることなく、現在も「こんぴらさん」の愛称で広く親しまれ続けている。